2008年9月1日月曜日

若者が孤立する理由がわかった

近代日本の社会構造を考えるとき、戦前戦後というフレーズが登場します。それは、終戦を境に価値観が大きく変わったことを示しています。

全体から個人へ、大家族から核家族へ、強制から民主へと、「個の尊重」が重視される中で、経済は大きく発展しました。

戦後の日本社会は、民主化が進んで、西欧のような「自立した個人による市民社会」が到来すると予測されました。「自己責任に生きる強い個人」の育成を掲げて、ゆとり教育(1992)もスタートしました。

しかし、世紀末の大不況を経て到達したのは、成熟した市民社会でも、自立した個人の社会でもなく、商業主義・消費主義・単身主義が栄え、マスメディアが繁茂する「孤立した」個人の社会だったのです。

フリーター・ニート・ひきこもり・パラサイト・摂食障害・薬物依存症などに至るまで、その激増ぶりは孤立に苦しむ若者の姿を表しています。

それに加えて、社会構造の根本的な変化が出現しました。

戦前戦後を第1・第2の時代とするならば、世紀末の不況を境に、「格差社会」という第3の時代が始まったと言えるのです。

グローバル化・IT化が進んで、当事者たちの着地点は、親世代とは大きく違ってきました。
戦後総中流社会の目安であった学歴・会社・結婚などは、もはや安全弁として機能しなくなりました。

世間体や他人の評価を基準にすることも、単身化と孤立化が進む時勢にそぐわなくなっています。親の価値観は、もはや古い価値観となったのです。

このように、社会の環境や規範が激変する中で、若者世代全体が、「自己同一性」、すなわち、「どう生きるか、だれと生きるか」などをめぐって悩むようになっています。

若者の病理の背後に、孤立させる文化と共に、自己同一性をめぐる混乱が加わってきたのです。

社会に適応したはずの30代「正社員」までが、人員削減とパソコン労働のあおりを受けて加重労働からうつ病になり、過労死、過労自殺に追い込まれるという状況になっています。

ネット心中などの自殺の増加や再び「太宰治」が読まれる現象は、生きる目標が見失われた時代であることを示しています。

格差社会の安全弁は、「自分自身を生きること」にあると思われますが、既成の価値観も信じられず、かと言って、新しい生き方の基準もないという若者の苦しみは深まっています。

この点から言えば、ひきこもりの当事者たちは、若者全体の苦しみを先取りしており、時代と社会全体の苦しみのバロメーターであったということがわかるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

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