2008年7月31日木曜日

父性の敗北を認めた

父親が会社人間にならざるを得ない状況から、母子の過剰な結びつきに介入する機会が少なくなると、「父性の不在」が生じます。不正の不在は、母子密着をさらに増大させます。

子供の「反抗期」や思春期への対応ができないままに、家から足が遠のく父親も多いと言えます。

3世代家族の祖父母が実権を握って父親を「子供扱い」した結果に、父親の役割を発揮できない状況となって、子供の不登校につながるケースもあります。

フロイトは、「息子は父親との『エディプス葛藤』に敗北することによって社会化される」と述べました。

ユングも、「母性に保護されてきた子供を家庭から分断して社会に向かわせることは、父性の役割であると述べています。

過剰な保護を与えない父性の機能によって、子供は自立することを覚え、社会性を身につけていき、母性の過剰はそれらを妨げるのです。

父親が父性として機能するためには、父親が大人になっている必要があります。

男性がいつまでも子供扱いされる母性優位の社会では、伝統的に「父親」が育ちにくいということもできそうです。

戦後日本の核家族では、父親が家族から撤退して、子育てを妻任せとする風潮があって、母親の過保護・過干渉から、ひきこもり問題などが深刻化したということができます。

逆に、父親の過剰な圧力によって、言うことを聞かせようとすることはどうでしょうか?父親による圧力は、父性の復活のように見えます。

しかし、息子・娘との向き合い方を知らないという点で、過剰な圧力は、「妻任せ」の裏返しに過ぎないと言えます。

過剰な圧力は、過剰な反発やひきこもりの深刻化につながりやすいのです。

地元名士の父親に叱咤されて殺傷事件を生じたケース、亭主関白の父親が妻の意見を無視し続けた結果、身体障害に至ったケースなど、厳しい結果が生じています。

ひきこもり家庭に目立つ「父子の不仲」は、母子密着・父性機能の不全によって、若者の社会化がくすぶっている生々しい姿です。

父親には、わが子と向き合う必要を感じても、世間体や会社の目に縛られて、身動きができず、子供と向き合うことを先送りする傾向があります。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月30日水曜日

母子密着に気づいた

母親が専業主婦として家事・育児を担い、会社人間化した父親の不在の中では、母親の影響が圧倒的となって、「母子密着」が進行します。

ひきこもりのケースでは、母性の過剰による過保護・過干渉が多く見受けられます。

母親による長年の世話焼き行為は、ひきこもり生活を支え続けます。 社会性の発達が止まるどころか、幼児返りをしてしまう当事者までいるのです。

家にいる点と直接就労しない点で、ひきこもりと「専業主婦」の生活スタイルは類似しています。

父親が生きるためのモデルにならないままに、母親のあり方をモデルとして取り込んだとみられるひきこもりも存在するのです。

強迫性障害の30代男性は、不潔恐怖からスプーンに触れることができないという理由で、母親にスプーンで食事を与えさせていました。

40代の男性は、家事を一切したことがなく、自分のパンツすら洗ったことがありませんでした。 「自分の30年を返せ」と叫ぶ50代男性には、母親が添い寝してなだめていました。

これらのケースは、ひきこもりが母子密着と強く関連しているさまを示しています。

「息子・娘が大人にならない」ことを嘆きながら、片方で「息子・娘を子供扱いし続ける」矛盾したやり方、これを母子間の「共依存」ということができます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月29日火曜日

父性の不在と母性の過剰に気づいた

ひきこもりの家庭では、「会社人間の父親と専業主婦の母親」という組み合わせが多く見受けられますが、これは、高度経済成長時代の典型的な核家族を示す言葉として知られています。

この核家族においては、「父性の不在と母性の過剰」という問題が生じやすいことも指摘されてきました。

「父性」は、社会的な基準によって、ものごとを識別していく「父親」的機能のことであり、主に父親によって担われます。

「父性の不在」は、家庭内に父親的機能が不足することで、思春期・青年期に達した子供の社会化が進まない一因とされます。

「母性」は、子供を育てる情緒的な機能で、主に母親によって担われるとされます。「母性の過剰」とは、必要以上の囲い込み(過保護・過干渉)によって、子供の社会化を妨げる状況を言うのです。

父親が会社人間・仕事人間となって、家に生活費を入れるだけの存在になった場合には、子供たちを母親から切り離して社会に出立させていく機能は果たせなくなります。

それは、必然的に家庭内における「母子密着」につながると言えます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月28日月曜日

待機主義と自己責任論の誤りを知った

多くの親は「世間体」という他人の評価を気にして、問題を表に出さないままできました。どこに相談して良いかわからず、相談しても解決につながらないという時代背景があったからです。

しかし、すべての親が手をこまねいて、事態を放置していたのではありません。

当事者に対する働きかけの他に、親たちは、保健所や精神保健福祉センターなどの公的機関、病院・クリニック、カウンセラー、ケースワーカー、NPOなど、さまざまな官民の機関を訪れています。

20年ケースの母親は、大学病院、民間病院、保健所、親の会と相談を続けてきました。24年ケースの母親は、不登校1年目からさまざまな機関を訪れています。

しかし、2000年以前では、「ひきこもり」は、一般的な認知すらありませんでした。

「不登校のその後」「自力で出るだろう」程度に思われて、高校中退ケース、高校生年代を越えて成人化したケースを扱う公的機関は、ほとんどなかったのです。

医療では、不登校の入院治療を人権侵害とみなす意見や、精神保健法(1987)、精神保健福祉法(1995)の成立後という状況の中で、人権への配慮から「本人受診」主義が徹底され、当事者を連れて行かない受診は、成立しませんでした。

経済的に好調な時代には楽観的な見方が支配して、若い世代の変化が始まっていることや「ひきこもり問題」の存在に、社会は気づこうともしなかったのです。

不登校に関しては、「出てくるのを待つ」という待機主義が繰り返され、ゆとり教育の時代(1992~2006)には、「自己責任で出てくる」とする自己責任論が唱えられました。

ごく少数の人たちが、根気強くひきこもり対応を続けていましたが、ひきこもりを「甘え」とみなす風潮から、社会問題としてクローズアップされることなく、水面下で深刻さを増していたのです。

2001年になって、不登校の2割が外に出ることができないままである事実が判明しました。

大学受験失敗や大学中退などからのひきこもりから、就職氷河期の大卒無業、会社退職後のひきこもりまで、学歴や職歴のあらゆる段階から、ひきこもりに移行することも明らかになりました。

社会に問題の認識がなかった時代に、多くの親や当事者が、世間に気づかれないように身をひそめたのは、不登校に対する待機主義と自己責任論のもたらした帰結とも言えます。

さまざまな問題性が表面化した現段階では、いたずらな待機主義や自己責任論は、「ひきこもり問題」の解決をもたらさないどころか、問題の放置につながり、さまざまな「悲劇」が二次的に発生することにつながると言えます。

待機主義や自己責任論には限界があり、逆効果であることに気づいたからには、「悲劇」を抑止するため、問題を隠すことなく、具体的に動くことが大切であると言えます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月27日日曜日

神経症が進むことに気づいた

親たちは、不登校・ひきこもりの原因を、いじめや教師との軋轢などに求める傾向があります。しかし、対人関係や対人不安の問題が、いじめより多く、思春期の社会不安障害やうつ状態の問題も、不登校の発生に大きくかかわっていると思われます。

不登校やひきこもりに陥った人を、すべて「正常心理」でとらえようとすることは、精神主義的にすぎると思われます。

不登校やひきこもりの過程で、「正常心理」を見失うこともあること、思春期の心の病によって、不登校やひきこもりに陥ることがあることは、医学的に見て当然と言えます。

ひきこもり外来を訪れた125名の8割以上に、ごく軽い疾患も含めて、精神医学的な診断をつけることが可能でした。

かなりの高率で、抑うつ状態や社会不安障害(対人恐怖)が先行することが明らかになったと言えます。不登校やひきこもりの過程で、精神症状をきたす場合もあります。

不登校の好発年齢である中学1年を対象にした統計調査では、4%の生徒に抑うつ症状が認められたという報告がなされています。

生まれて初めて心身ともに不安定化する思春期・前青年期において、うつ状態や社会不安障害をきたしても不思議ではないのです。

思春期のうつ状態や社会不安障害の知識が、親にも教師にも不足するままに、心の病が見落とされてしまう可能性があります。

18年ひきこもった青年は、「過敏性大腸」の症状が不登校の当初から存在し、ひきこもり期間中もずっとあったと述べています。これは、早期発見・早期対応があれば、予後が違っていた可能性を示すケースと言えます。

うつ状態や社会不安障害は、不登校やひきこもりによって、さらに悪化することがあります。摂食障害などのわかりやすい症状を伴う疾患ですら、親も教師も気づかないことがあります。

授業中に「本を読みなさい」と指されて、過度の緊張から、ふるえ・動悸・発汗をきたし、不登校・ひきこもりになった男性は、22年後に支援者の援助によって来院するまでは、社会不安障害の存在について気づかれることはありませんでした。

ひきこもりに合併するうつ病が、普通のうつ病(定型うつ病)と症状が異なる可能性もあります。過食・過眠・昼夜逆転・批判への鋭敏さ・回避行動などは、典型的ではないのですが、うつ病の可能性があるのです。

社会不安障害の回避行動として、ひきこもった場合に、うつ病・うつ状態になる可能性は高くなります。

当事者が、ひきこもりの中で、神経症・うつ病・摂食障害を進行させること、長期化の中で、パーソナリティ障害として先鋭化することなど、親にも周囲にも極めてわかりにくい点です。

ひきこもりは、医師の元を訪れることが極端に少ないために、医学的な研究・医療現場でも認識されにくい状態にあり、今後の医学的な解明が待たれるところです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月26日土曜日

成人後の同居主義

日本の核家族は、成人後の子供の別居を原則とすることができませんでした。

核家族が60%を占めるようになった今、むしろ親たちには、わが子との同居を期待する「大家族願望」すら残っているようです。

親の同居願望は、大家族制への郷愁と共に、夫婦関係づくりに不慣れな点にあると思われます。

成人した子供との同居の増加は、結婚しないままに親元で生活する「パラサイト」現象に見ることができます。大家族制では、親子同居はごく自然のことでした。

大家族を否定して核家族をつくった親たちが、成人した子供との同居を否定しないことは、戦後核家族の限界と言えます。

夫の妻依存が強まる中で、「夫の世話から離れたい」妻の願望による熟年離婚は増えていますが、子供の同居によって離婚をさけ、「家庭の寿命」を延ばすことも可能になります。

成人後の別居を原則とする文化圏では、若年失業などの経済的理由からの同居が増えても、ひきこもり問題は基本的には成立しないと言われています。

大家族制の残遺である「成人後の同居主義」が、ひきこもり問題を発生させ、「ひきこもる」わが子を家から出すことをためらわせるのです。

多くの母親は、わが子を家から離したくない本能的な願望と、出さないと一人前にできないという罪悪感の間で引き裂かれています。

本来は、青年期に達したわが子を家から出して社会化することは父親の役割です。10代以降の進学や就職の世話を、母親ひとりで担うこと自体が誤りなのです。

「失われた世代」と呼ばれ、バブル崩壊後の就職氷河期にフリーターになった世代は、経済的理由などから親と同居するようになっています。

フリーターからニートへ、ニートからひきこもりへと転ずることほどたやすいことはないという現実と共に、成人後の同居の増大が、今後の日本的家族の行方に大きく影響すると予測されるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月25日金曜日

民主的の過剰

父性中心主義は、江戸時代や明治時代の支配思想とされますが、これは支配階級を中心に見受けられた現象であって、庶民社会では母性中心主義であったようです。

敗戦によって、父性中心主義は封建思想として否定され、戦後の民主教育を受けた世代が、現在の核家族の親となりました。

この世代の父親たちは、「一家の長」という考え方を排除して、子供の世代に「民主的」な対応を心がけてきたと言えます。

自分の考えを伝えようとする父親は、「議論好き」とか「意見を押しつける」と言われて敬遠され、民主的な「友だち家族」としてふるまう父親が歓迎されるようになりました。

フロイトやユングが言う「わが子を家庭から切り離す」姿勢は、示されなかったと言えます。

「友だち」であるかぎり、「決定は本人任せ」になるしかなく、「本人任せ」が「民主的」対応と誤解されてきたのです。

「出るまで待つ」「自己責任」の原則は不登校にまで拡大されましたが、現実には、不登校の20%は、自力で外に出ることはできなかったという結果になり、ひきこもりとなりました。

「不登校・ひきこもり」も当事者の自由意思によるものとみなした時点で、親は手も足も出せなくなったのです。

過剰な「民主意識」を持つ「友だち家族」の父親は、仕事の責任が重くなると共に、家庭からさらに遠のきました。

不登校・ひきこもりは、戦後の民主的な核家族が、息子・娘らを社会化する力に問題があったことを示しているのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月24日木曜日

子供第一主義

家庭生活において、夫婦関係より子供への配慮が優先し、家庭生活の中心に置くことを「子供第一主義」と言います。これは、核家族が、跡取りを大切にする大家族から出ているためと言えます。

子供第一主義は、夫婦関係を疎遠にして、父親の会社人間化、仕事人間化を強めることになります。父親は「稼いで家族を養っている」ことを強調して、家庭での不在を正当化するようになります。

家庭での父親不在は母子の密着を強めて、母子の共依存が成立するのです。いったん成立した共依存は、意図的に取り組む以外は、きわめて解消しにくい状態となります。

母娘の共依存を基にして生じるのが摂食障害であり、母子間とくに母息子の共依存を基にして、ひきこもりが生じるのです。共依存は、ひきこもりを長びかせる要因としても作用します。

50歳の息子に添い寝してなだめる80歳の母親など、いつまでも幼いころの母子関係のままになってしまうのです。日本の子供第一主義は、大家族制の跡取りに由来しています。

愛情に基づいて離婚を繰り返す西洋文化圏の家庭でも、「子供中心主義」と言われることがあります。これは、「親が違っても、子供を大切に育て上げる」という市民意識の自覚に基づいていると言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月23日水曜日

子供第一主義、民主の過剰、成人後の同居主義に気づいた

ひきこもり問題が生じる原因の一つに、親世代の背負った社会的・文化的な背景があると言えます。

親世代は、大家族制度を封建的と批判して都会に出て、ホワイトカラー(会社員)になって、ニューファミリー(核家族)を形成しました。経済成長という追い風によって、親世代は明るい未来(定年後)を描くことができたのです。

しかし、父親が会社人間として囲い込まれ、母親が専業主婦化する中で、父性不在と母性過剰をきたして、核家族の夫婦関係や親子関係は形骸化してしまいました。

父親は子育てに加わらないだけでなく、第2の息子として妻にぶら下がるようになり、子供第一主義(跡取り)、成人後の同居主義など大家族的な家族関係が保たれてしまったのです。

「民主的」を過剰に強調することで、「本人任せ」という「自分勝手」を放置したということもできます。「子供第一主義」は、過剰な世話によって、ひきこもりを長引かせます。

「民主的」の過剰は、主体制を育てません。「成人後の同居主義」は、わが子を家から切り離せない動きとして、ひきこもりの発生と長期化を招きます。

以上の理由から、核家族も大家族と同じように、子離れ親離れが苦手だったと言えるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月22日火曜日

事態が深刻化する要因に気づいた

親たちと当事者は、一見対立する関係のように思えますが、実は共通する価値観に縛られています。そして、被害者意識を持つ点でも共通しています。

共通する価値観とは、世間体を気にかけ、人並みを重視することです。

がんばればなんとかなると信じる親と、がんばってもどうにもならなかった当事者では、方向性は正反対になります。その結果、ひきこもりは堂々めぐりになり、深刻化するのです。

多くの父親たちは社会的に適応しており、他者に同調することは得意です。しかし、自分の意見を通すことは苦手であり、自分の家庭の問題になるとさらに苦手になるのです。

家族に意見を言うときは遠慮がちになるか、「業務命令」のように威圧的になるかの両極端に走る父親も少なくありません。

妻に依存して「第2子」に納まってしまう父親もめずらしくないのです。社会不安障害の傾向があって、対人関係の不安から、アルコールの力を借りてしかものを言えない父親もいます。

当事者は「わかっているのに、動けない現実」を抱えています。方法論を示されないまま、命令的に親の意見を押しつけられた場合に、当事者は途方にくれ、拒絶するしかなく、身動きが取れなくなるのです。

親たちが、世間体を気にして、家庭の中だけで何とかしようとすることも、ひきこもりを長引かせます。

ひきこもり問題の原因と責任を、親子関係だけに帰することは誤りと言えます。ひきこもりは、国際的に見ても、現代日本に特異的に発生した「若者を中心とする社会問題」と考えて良いと思われます。

ひきこもりには、日本社会特有の原因が存在することがうかがえるのです。神経症、うつ状態、摂食障害、パーソナリティ障害、発達障害などが高い割合で見出されることが、ひきこもり外来・親の会の統計によって示されています。

2000年に社会問題として登場するまで、ひきこもりに対する公的な機関の対応は、ほとんど存在しませんでした。

社会の関心が集まり、さまざまな取り組みが試行錯誤的に開始されて、まだ10年に満たない段階です。このことが、問題解決の困難さを増幅させています。

ひきこもり問題においては、不登校と同じように、まずは親の自助努力が求められますが、親や当事者の力が及ばない場合には、公的な機関の関与と支援が欠かせないのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月21日月曜日

親のがんばりすぎに気づいた

親たちには、がんばり屋の傾向が認められます。「がんばる、一生懸命、必死に、死んだ気になって、ベストを尽くす」など、いわゆる「がんばり言葉」は、日本のまじめ人間、会社人間の心性の中心を占めています。

過剰ながんばりが、うつ病、心身症、自殺、摂食障害など、急増するさまざまな疾患の原因になることは、周知のところです。

がんばる能力自体は必要ですが、柔軟に機能するためには、同時に、がんばらない能力、がんばりすぎない能力も必要となります。

親たちの一方的ながんばりが、ひきこもりを長引かせる要因になることは、容易に推測されます。「無力さの自覚」は、がんばりというパワーが、ひきこもりに対して無効であることを認め、一方的ながんばりすぎを修正していくことでもあるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月20日日曜日

被害者意識が共通することに気づいた

親たちには、「問題はひきこもる本人にある」「とにかく外に出てくれさえすれば良い」と考える傾向があります。親自身に何らかの原因があると思わないケースが多いと言えます。

叱り続ける、怒り続けるなどの行為はその典型であって、当事者の年齢に関係なく、親の方に正当性があると思い込んでいます。

逆に、哀願や懇願は、身体が大きくなったわが子には体力的にかなわないという現実と気遅れからと言えます。

いずれにせよ、「問題があるのは本人であって、親は困っている」「世間に恥ずかしい」という被害者意識が親たちにあります。

期待に応えられない場合に、親は「せめての自立」を求めますが、ひきこもりは会話すら拒絶したような極端な「依存」状況を継続させるので、親には「なぜうちの子だけが?」という犠牲者意識、被害者意識が生じます。

そして、家族は心理的共同体を形成していますので、親の考えることや感じることは、当事者に即座に伝わります。

当事者にしてみれば、罪悪感と共に、「親の言うことを聞いていたら、こうなってしまった」という犠牲者意識も出てきます。

親の対応の仕方によっては、さらに当事者の被害者意識や犠牲者意識が高まって、衝動行動につながる可能性もあるのです。

学歴や出世といった、状況判断を誤った期待を向ける親と、対人関係・いじめ・挫折を経てトラウマを持った当事者の間には、ドア1枚をはさんで、共に被害者意識にさいなまれた、かみ合わない「すれちがい」が続くことになります。

ひきこもりは、親と当事者の双方の被害者意識によって、すれちがいが重なってできた壁なのです。

その壁を、今までのやり方で、無理にこじ開けようとすることは、すれちがいをさらに深刻にし、ひきこもりは遷延化(のびのびになること)するのです。

その結果、すべてを否定的にとらえる「マイナス思考」や現実をまったく認めない「否認機制」にはまり、筋力の極端な低下や神経の委縮などの「廃用性障害」という身体障害をきたすことすらあるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月19日土曜日

価値観が共通することに気づいた

「自分たちの社会常識は正当である」という意識が、親たちにあります。しかし、その価値基準を大前提にして、わが子の現状を判断することは、正しいでしょうか?

ひきこもり問題を抱える親たちの7割が、会社員や公務員などの棒給生活者であり、中産階級に属しています。

親たちが社会的に受け入れられた生き方をしてきたことは、ひきこもり問題の特徴の一つと言えます。

親の世代は、経済主義、会社主義、学歴主義、核家族主義など、戦後の経済成長を支えた価値観の担い手です。

しかし、中産階級の弱点は、職業が世襲的でないために、子女が学歴や会社就職を得ないと、同じ生活レベルを維持できないという点にあります。

このために、親には学校・学歴・会社に対する強い思い入れがあり、上昇のための勉学や努力を惜しまないことや、人並みから外れないことを子供たちに求めてきました。

ひきこもりの当事者たちは、親の考え方や期待を熟知しており、ほとんど親の価値基準と同じ考え方をしています。

親の世代とひきこもり年代との間には、30年前後のへだたりがあります。

世紀末の大不況を境にして時代は大きく変化したのですが、親の求める会社主義、学歴主義などの考え方は、驚くほどに親子間で類似しています。

その上で、さまざまな理由から、当事者は親の考え方に反発したり反論したりできないままでいるのです。

当事者には、中学高校の不登校、高卒無業、大学などの中退、大卒無業、会社退職後など、どの段階からひきこもり出したにせよ、親の願う生き方を実現できなかったという挫折感や後ろめたさがあります。

そして、同じような場所や状況に戻ることには、自尊心と自己愛から自己防衛的に抵抗を感じるのです。

「居場所」(ひきこもる若者たちが、束縛なく集える場所)の設置は、ごく近年のことであり、高度成長期を通じて、地域社会には傷ついた若者のたむろする場所はありませんでした。

むしろ、若者が外でたむろすることには、眉をひそめられる向きすらありました。学校や会社で挫折して、自宅にこもらざるを得なくなり、「ひきこもり」と呼ばれるようになったのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年7月18日金曜日

今までのやり方が無力であると気づいた

すべてのステップは、「無力さの自覚」から始まります。

それは、自分の意志の力やパワーを「なせばなる」と信じて取り組んだ結果が、 良い解決につながらなかったこと、逆効果となったことなどを自覚することです。

ひきこもりの場合には、「親に誤りはなく、当事者こそが問題である」という意識が、 問題をさらに深刻にさせます。

誤った方法にしがみつくことには、ひきこもりの深刻化をもたらすという弊害があるのです。 数年以上にわたって効果がない場合には、取り組みの考え方を再検討する必要があります。

専門家の精神療法や心理療法でも、2年間、変化をもたらさなかった場合には、 無効とみなして良いと思われます。

的を射た取り組みならば、短期間のうちに問題解決につながる可能性があります。 同様のことは、ひきこもりへの対応でも言えるのです。

統合失調症などの精神病ではない、神経症レベル、パーソナリティ障害などによる「ひきこもり」には、家族関係の問題がかかわっており、当事者から動き出すことが極めて少ないという特徴から、 「ひきこもり」と呼ばれるのです。

従って、何はともあれ、親の方が動いてみる必要が出てくるのです。

親たちが最初にすべきことは、それまでの働きかけを振り返って、 無効であった事実を認めることです。

ステップは、「無力であることを認める」ことから開始されます。

ひきこもりの親たちのステップも、依存症のステップと同じように、 「無力であること」の自覚から始まるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。