2008年10月19日日曜日

ひきこもりは、回復する

ひきこもりは、回復する、治ります。そして、社会から「のけ者」にされるべきではない、差別される理由など、これっぽっちもない、ということです。

ひきこもりという現象は、社会が生んだものであり、ひきこもる当事者は、「社会の犠牲者」でもあるのです。だからこそ、社会全体で取り組まなくてはならない課題なのです。

ひきこもっている当事者のみなさんへ。

「大丈夫、いつからでもスタートできる。人生に無駄なことはない。あせることはない。ちょっとずつ勇気を出して。居場所へおいでよ。待ってるよ。」

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月18日土曜日

ひきこもりは、貴重な体験だと知った

いつの時代にも、若者は時代の分岐点を敏感に感じ取ってきました。

不登校・ひきこもりは、「既成の価値観が、身の丈に合わないと感じ取る力が働いた」と思われます。学歴・会社を求められる社会、競争を強いられる社会は、感受性の強い人にとっては、住みずらいものです。

社会の問題性を意識する力がない時には、自分には力がない、自分が悪いと思いがちです。当事者たちは、時間が経ってから、ひきこもりから脱してから、その事実に気づくのです。

ひきこもり中に何も起こらなかったとしても、自分自身が大切に保たれていることにも気づくのです。
社会環境や規範が激しく変化する中で、若者全体が生き方をめぐって悩むようになっています。

格差社会の安全弁は、「自分自身を生きること」にあると言えますが、ひきこもることによって自分自身を保つことができた場合には、ひきこもりは必ずしも不利ではないのです。

また、必ずしも、遅れたことにもならないのです。ひきこもりから脱すると共に、彼らは再び若者全体の中に戻ったと言うことができます。自分自身を保ったひきこもりは、大きな能力を示したのです。

極限のような生活の中で大崩れすることなく、ひきこもり続けることは、「能力」に他なりません。それは、「極限を耐え抜く能力」と言うことができるのです。

ひきこもりを解消できた人の数は、圧倒的に少ないのが現状です。このような状況下で、ひきこもりを脱した当事者の存在意義は、きわめて大きいと言えます。

当事者ひとりが家から出ただけで、親たちや取り巻く人々は、希望を抱くことができるようになります。また、当事者には、当事者にしかわからない苦しみを理解することができます。

その体験を語り、アドバイスを伝えることは、まだ苦しむ人にとって大きな救いとなります。

希望や救いを与えることは、一家心中などの悲劇を抑止する力となって、社会的にきわめて大きな役割を果たしていると言うことができるのです。

ひきこもりから脱した経験は、きわめて貴重な経験です。人生は、いつからでもスタートです。人生に無駄などありません。決して遅れていないのですから、あせる必要もないのです。

大切な自分の感性は保たれています。時代は大きく変化して、新しい学びと働きの精神が、登場しています。

自分自身を、自分らしく、自分のため、人のために生きていることを、一歩一歩確認しながら、歩んでいきましょう。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月17日金曜日

体験を伝えることの喜びを知った

当事者が、自分の体験を他者に語るのは、とても重要なことです。重要という意味は、2つあります。一つは、「自分のため」です。もう一つは、「他者のため」です。

親には、「家族エゴイズム」が出やすく、わが子が、ひきこもりから回復してしまうと、それですべて解決と思いがちです。

しかし、当事者は、そうはいきません。アルバイトをしたり、学校に行ったり、恋人を探したりと、「人の輪」を広げていく中で、多くのアドバイスを必要としています。

そのアドバイスを受ける相手は、「ひきこもりの先輩」であり、居場所に集う「友人」たちです。
そうした先輩や友人たちは、共通の体験を持つ場合が多く、生きたアドバイスを受けることができます。

そして、アドバイスを受けて社会へ出て行った当事者は、再び居場所に戻って来て、後輩たちにアドバイスすることになるのです。

自分がひきこもりから出た話をするだけでも、まだ悩み苦しむ人たちにとって、大きな福音となるのです。

当事者の抱える特有の困難さは、ひきこもり期間の分だけ社会経験が少なく、対人場面での臨機応変な応対が苦手ということにあります。

しかし、それでも構わないのです。「話を聞いてもらう」「話を聞く」ことが、重要だからです。その会話自体も、経験なのです。

居場所のリーダーやサポート活動ができる人には、多くの共通点が見受けられます。

ひきこもり期間が10年以内、脱出時の年齢が30歳前後の当事者が、自分の経験を生かして他人を支援する側に回りやすいと言えます。

会社員など社会参加の経験があること、社会不安障害・うつ病・摂食障害などの経験があること、アルコール依存症の自助グループなどの参加経験があることなどは、活動に生かすことができます。

経験を生かしてサポート活動を行なうことは、「自助グループ活動」「ピア・カウンセリング」の精神に通じるだけでなく、「ピンチはチャンス、危機こそ好機」という強い生き方を実践することにつながるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月16日木曜日

ひきこもりは、コミュニティの大切な子である

ひきこもりに対する社会の対応について、再確認したいと思います。

戦後社会の家族は、核家族が過半数を占めて、家族形態の中心となりました。経済成長の時代は、家族同士が、学歴・会社・生活のレベルを競い合いました。

その結果、9割の家族が中流意識を持つ「一億総中流社会」という「平等社会」が出現しました。市民意識・個人意識が、成長した成熟社会を生み出すのかと思われましたが、結果的に、孤立主義に強く傾き、破綻する若者が急増しました。

ひきこもりも、「孤立主義」の犠牲者と言うことができます。そして、ひきこもり当事者は、社会から置き去りにされています。長期のひきこもり当事者は、すでに30代・40代・50代を迎えようとしています。

親たちは、不登校の初期から、公的な相談機関への相談を繰り返してきました。

しかし、「様子を見ましょう」「本人をつれて来てください」「自分で出る力を信じて」などと言われ、問題解決が進まなかったのです。

24年ひきこもった40代男性は、社会的な発達障害に加えて、栄養障害による身体障害まで合併していました。

父親はすでに死亡し、母親はうつ病を繰り返して、家庭崩壊が進み、自殺か一家心中かという瀬戸際まで追い込まれましたが、間一髪救出されました。

中学2年時の社会不安障害から22年ひきこもった男性は、言葉を発する力を失っていました。

18年こもった30代男性は、抑うつ状態・記銘力の低下・歩行障害を示し、CT検査で「大脳小脳の委縮」が認められました。

ひきこもりは、できるだけ早い時期に、できるだけ若い年齢のうちに対応する必要があることが、これらのケースから断言できるのです。

経過観察だけで良いひきこもり状態は、安定した精神活動と身体活動が保たれ、栄養障害がない場合だけです。

小中学の不登校から、ひきこもりが長期間にわたって遷延化した場合には、特に全面的な対応が求められます。特殊な状況にある児童生徒への対応が、行政や教育の側に欠けていました。

憲法では、基本的人権(第11条)、健康で文化的な生活を送る権利(第25条)を保障しています。10代からの長期的ひきこもりの様相を見る限り、これらの権利は保障されていません。

コミュニティの子であるはずの彼らは、制度の隙間に捨て置かれてきました。今こそ、公的な対応のシステムを確立することが求められているのです。

高校中退からひきこもりが始まるケースは、高等教育の不備さや、中学校での進路指導の不足を示しています。大卒無業に由来するひきこもりは、景気変動を吸収できない経済システムの問題です。退職後のひきこもりは、カウンセリング体制の弱さということができます。

これらは、各家族の個別的努力を越えた困難さを背負っていて、社会全体が、次世代育成という観点から、全面的に対応することが求められるのです。

ひきこもり支援のシステムとして、医療・NPO・行政などに、さまざまな団体があり、その数は増加中ですが、ひきこもり全体の平均年齢が30歳を突破しようとする現段階では、もはや猶予は許されません。

「縄張り意識・縦割り意識」は、問題解決にとって大きな弊害となります。ひきこもる若者たちは、社会全体の「大切な子」なのですから、支援する側のいがみ合いや営利主義は、やめるべきです。

多くの支援システムが連携して、総合的に対処する必要があると言えます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月15日水曜日

医療的視点で、「働けるかどうか」を判断することが大切

ひきこもり家族の感情は、母親を中心に当事者への過剰な期待に傾いています。父親は、会社や仕事にかまけて見ぬふりをするか、世間体を第一にして過剰な圧力をかけるかのいずれかです。

長い間の感情的な負担から、やむを得ない場合が多いのです。親自身が、自己愛のとりことなって、揺れ動いています。

従って、当事者が外来を訪れた段階か、できるだけ早期の段階で、精神疾患の可能性や労働能力の可能性について、専門家の意見を聞くことが必要になります。

社会不安障害・心身症・うつ状態などでは、労働能力があると言えます。幻覚妄想がコントロールされた統合失調症でも、就労は可能と言えます。

一方、長期化による社会性未発達・中等度以上の知的障害・重症の人格障害・解体型の統合失調症・高度の筋力低下・脳委縮などは、「労働能力は低い」と診断されます。

労働能力がない場合には、障害者年金の受給を検討すべきなのですが、現在の社会保障では、ひきこもりの社会性未発達や人格障害は、年金給付の対象にならないという現実が立ちふさがっています。

この点の解決は、親の会活動や行政対応の今後に、ゆだねられていると言えます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月14日火曜日

人生は、いつからでもスタート

私は、飲酒が進んでアルコール依存症になってしまい、入院した後に落ち込んでしまった患者さんに対して、「人生は、いつからでもスタート」という言葉で励ましてきました。

実際、この言葉は、過去を悔やみそうな人たちが、うつ病に陥るのを防止する上で、とても有効であると思われます。

それまでの人生を無意味で取り返しのつかないものとして悔やむ発想は、「後の祭り思考」(木村 敏)として、うつ病の心性の特徴とされてきました。

ひきこもりの当事者にも同じ危険性があります。この心的状況をどう乗り越えるか?それが、「人生は、いつからでもスタート」であり、「初めに希望ありき」という言葉なのです。

そのことを当事者に伝えることで、当事者は希望を抱き、前向きに、ひきこもりと対峙することができます。その上で、治療を始めるやり方が、ひきこもり問題の解決に有効です。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月13日月曜日

試行錯誤の中で、うまくいかない場合には教訓を得た

居場所を訪れた当事者は、その6割が少なくても1回は、社会参加にチャレンジしています。

チャレンジした当事者の半数は、就学・就労の段階、つまりパート以上の安定した就労・就学・結婚・資格試験合格などに達しています。また、居場所・NPOのスタッフとして活動している人もいます。

これは、もう「ひきこもり」と言う必要のない、ごく「一般的な若者の姿」と言えるのです。

しかし、社会参加は、すんなりいくとは限りません。試行錯誤は、当然のことのように起きるものです。「働くこと」は「総合的な作業」であり、全体のバランスが求められます。

体ができていないことからケガをしたり、職場の速い動きについていけなかったり、上司の強い口調を叱られたと誤解したり、疲れて翌朝起きられなかったりなど、仕事が続かなくなる条件は多くあります。

こんなときには、スタッフ・ジョブコーチ・専門家などのアドバイスが必要になります。バイトを辞めても一喜一憂せず、「うまくいかなかったら教訓を得る」ことが大切になるのです。

親世代は、学歴を問わず、経済成長の中で順調な社会生活を経験してきました。

そして、ほとんどの人は、大金持ちにはならなかったけれども、貧しい暮らしを強いられたわけでもない、「中流階級」「中流階層」の生活を営んできたのです。

こうした親を基準にすると、少なくとも大学卒業の年代くらいまでには、経済的安定コースに乗っていることを願うことになります。

日本社会では、長い間、これが「一人前」の評価基準となり、収入の不安定なフリーランサーなどは、アウトサイダー扱いされてきました。

しかし、現代の西欧文化圏では、若者が「一人前」になるには、時間がかかると認識されており、日本もそういう時代になりつつあります。

選挙権を18歳で認めようと論議される一方で、「成人」の規定は30歳でも良いのではないか、といった論調も見られます。

いずれにしても、現代の若者は、ゆったりと時間をかけて大人になることが許容されているのです。

かつては「早く大人になって、早く一人前になって、社会に貢献」と言われたものですが、「早く大人になってどうするの?」「早く一人前になったら社会に貢献できるの?」と、若者から社会に問いかけられているのです。

時代は変わっています。「一人前」の基準を再検討した上で、再構築すべきなのです。

20代~30代の世代は、不況という「経済的な強制力」によって、一人前になることを無理やり遅れさせられた世代であり、「失われた世代」と呼ばれています。

「失われた世代」は、40歳までに人生の方途を見出すことができれば良しとされて然るべきです。

「一人前」の基準は、もっと幅広く語られる必要があるのです。そうでなければ、若い世代の委縮は、ますます進み、彼らの可能性をさらに狭めてしまう危険があるからです。

若者たちと今の大人たちはでは、価値基準は大きく違ってきました。

アナログ(大人)対デジタル(若者)、ローカル(大人)からグローバル(若者)、10年単位(大人)から1年単位(若者)といった比較からわかるように、社会構造そのものが違ってしまったのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月12日日曜日

無理なくできる仕事は何か考える

親の期待は、「どんな職種でも良いから、きちんとお金を稼いで欲しい」「できるだけ早く働くこと」「早く一人前になって欲しい」というものです。

その原因、親が当事者の心理や状態を理解していない、ひきこもり対応に疲れている、などが挙げられますが、親自身の過去の成功体験が、そのような子供への要求になっています。努力すれば、だれもが「中産階級」「中間層」として、やってこれたという体験です。

しかし、親の生き方が、わが子に通用する時代は終わったのです。会社組織も社会も大きく変化して、それに柔軟に対応する必要が出てきました。ひきこもりも、柔軟に対応しなくてはならない「社会構造の一環」と言えるのです。

ひきこもりから回復して就労する場合には、バイト・パートから開始して、単純労働で足ならしをして、力がつくにつれてキャリア・アップを図っていく方法が妥当でしょう。

コンビニなどのレジ打ちのバイトから始めて、パート社員・派遣社員へと移行できる人もいます。個人商店や小企業の正社員、大きな会社の正社員・特別公務員になる人もいます。

しかし、仕事には、向き不向きがあります。また、ひきこもり体験者の場合には、継続して何らかのサポートやアドバイスを受けることも必要となります。

さらに、当事者には、心優しい人たちが多いので、福祉系の仕事が向いているということもできます。福祉系の仕事にも競争がまったくないわけではありませんが、人や生命をはぐくみ世話する仕事に適していることには相違ありません。

特に、介護の現場には、今後50万人の雇用が必要と言われています。資格講座受講者に、就労先を紹介するシステムもあります。

ひきこもり体験者には、技能的な仕事も向いていると思われます。総中流社会は、小ぎれいなサラリーマンが幅を利かし、技能の仕事には肩身の狭い社会でした。社会的に必要度の高い技能の仕事は、今多くの人材を求めているのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月11日土曜日

ボランティアに参加し、バイトに応募した

適切な社会参加プログラムに参加して、ひとり対ひとりを超えた対人関係に慣れて、資格講座を含めて「学びたかった学び」に参加して、同性や異性の友人ができて、運動不足で衰えた体力が回復する中で、次第にバイトなどの就労が可能になっていきます。

就労は、まったく未経験であるか、あるいは久しぶりのことなので、戸惑いやためらいが生じるのは、当たり前と言えます。試行錯誤の中でのチャレンジですから、失敗しても良いのです。

雇用能力開発機構などの就労セミナーを受けて、「面接の受け方」「空白のある場合の履歴書の書き方」などを知ることや、NPOや若者サポートステーションのサポートを受けて、ジョブコーチ付きで就労訓練することは有効と言えます。

仕事に行き詰って辞めることになった場合には、以前に相談した機関を再び訪れます。そして、「まったくダメ」といった完全主義による断念をしてしまわないためにカウンセリングを受け、うまくいかなかったことから教訓を得るのです。

このようにして、キャリア・アップして巣立っていった若者は、大勢います。

若者の退職は、当たり前のことで、特別なことではありません。退職の原因も多種多様で、経営者が悪かったり、同僚が原因のことも多いのです。退職については、割り切って、再チャレンジしましょう。

親の目からすると、「根気がない」「耐える力がない」などと映るかもしれませんが、そんなことはありません。

視野を広げて試行錯誤とチャレンジを繰り返すことは、今からの社会を生き抜いていく上で必要な「耐える力」を身につけることになるのです。

「人生に無駄なことはない」のです。ひきこもり体験から対人関係・就学・就労・異性との交際の失敗まで、すべての試行錯誤は、いつか役に立つものです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月10日金曜日

すでに働いている仲間やスタッフに働き方を聞いた

働いて「お金をもらう」ことは、「他人(雇用者やお客)の満足を満たす」ことを求められ、親から小遣いをもらうこととは基本的に異なります。

しかし、ひきこもりから脱した直後は、「他人の満足を満たす」ことは、最も慣れない事柄です。従って、第一段階としては、居場所でコミュニケーションの取り方を身につけていくことが必要になるのです。

もうひとつ必要なことは、働いている人の話を聞いたり、働く姿を見ることです。

親が会社員や公務員の場合には、親の働く姿を子に見せることはむずかしく、親がモデルとなれないことも、ひきこもりの一因になります。

そこで、居場所のリーダーやスタッフ仲間の「働くことに関する」話が、その代役となります。

居場所やフリースペースで、すでに働いている当事者や一般就労をしているスタッフと交流することが、モデリング・情報・刺激を得るために、良い機会になるのです。

モデリングの「モデル」は、完璧な存在である必要はありません。逆に、現実と願望の狭間で、あれこれ悩み苦しみながら、「生きている」姿を見せることが良いと言えます。

スタッフは、少し専門性を上乗せして、悩みながら生きているという意味では、当事者と同じ人生の土俵にいるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月9日木曜日

体を動かすボランティアやバイトを開始

ひきこもりから脱した直後は、運動不足から筋力が落ち、体力は低下しています。

コンビニや図書館に通っていれば、多少の体力はついているでしょうが、部屋にひきこもりっぱなしだと、体力は落ちてしまいます。

ひきこもりから脱したとしても、すぐに就労することは、この点から無理になるのです。

体力や筋力は、居場所やフリースペースに定期的に参加するだけでも回復してきます。居場所などで参加者とウォーキングやスポーツを楽しむことは、気分転換や仲間感覚を回復させるために最良の方法です。

意識的に「身体を作る」必要があるのは、バイトや異性とのデートをしようとする場合です。足をくじいたり、反応が遅かったりしてはバイトもうまくいきません。デートでも最低限の見栄えが必要になってきます。

効率よく体力・筋力をつけるためには、ウォーキングを毎日30分行なうと良いでしょう。筋力がついてくると、体温が上がって、気持ちも積極的・意欲的になってきます。

就労の意欲は、居場所でさまざまな情報に触れる中で高まります。就労の強制を行なわない居場所でも、多くの人が就労するようになるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月8日水曜日

人類の歴史は、「最初に男と女ありき」

人間は、なぜ特定の異性とつながり、特定の異性と家庭をつくるのでしょうか?

ある学者は、「人の心が発達するにつれて、特定の男性と女性の気持ちが離れなくなり、同じ場所に住むようになった」と記述しています。

特定の異性同士が「好き」になることは、人類史そのものと言えるほどに長い歴史があるのです。太古の昔から、異性の存在に心をときめかすことが、人生を生き生きとさせてきたのです。

人類の歴史は、「最初に男と女ありき」だったのです。

現実には、男と女の関係は、必ずしも幸福ばかりとは限りません。女性を男性の所有物のようにみなす男尊女卑の時代もありました。

現代社会にも、そうした思想は一部に残存しています。父親がそうした考えを強く持っている場合に、ひきこもりが長引くケースがあります。

男は会社、女は家庭、といった男女分業論の到達点は、「会社人間の父親は、家庭に不在。母親と子供の結びつきが強まり、母性過剰」となります。

これは、子供が社会に出にくい(社会化されにくい)条件のひとつなのです。

不登校・ひきこもり・薬物依存症・摂食障害・パーソナリティ障害に至るまで、現代の若者の背後には、こうした家族状況が見受けられます。

ひきこもり家族の場合に、当事者と母親の「共依存」的な愛着関係が強まると共に、父親との距離が開きすぎて、生理的な憎しみの対象になるのは、このような背景があるからです。

これは、ひきこもりが長引く原因となります。逆に、「わが子のひきこもりゆえに、母親の気持ちが離れることができなかった」と言うこともできます。

「出たいが出られない」当事者。「出て欲しいが、生活の面倒を見ざるを得ない」親。両者は、痛みを自覚しながらも、その痛みゆえに離れられない共依存の関係にあるのです。

共依存では、愛情が憎しみに変わることが往々にして起きます。親から子への憎しみ。子から親への憎しみ。

憎しみは、敵意へと変わり、家族ゆえの「甘えの感情」が、憎しみを思わぬ事件・事故・悲劇に発展させてしまうことがあります。

たとえば、当事者が、子供時代の甘えの気持ちで、親に暴力をふるった場合です。当事者は、すでに大人の男ですから、殴ったら親はケガをします。カッとなってバットを振ったら、親は死にます。

軽い気持ちの行為から、取り返しのつかない惨事になってしまう。こんな悲しい事態は、避けなければなりません。

共依存の強い男性が、異性との付き合いを始める場合にも注意が必要です。今までに親に向けていた共依存の感情と暴力が、異性に向かうこともあるからです。

現代の若者たちにとって、「家庭をつくる」ことは、困難な状況にあると言えます。

会社は人員削減を進め、正社員よりもパートを雇用したがります。そのために、20代から40代までの非正規社員やフリーターが激増しています。

収入の少ない「ワーキングプア」(年収200万円以下)は、若者世代に多いのが実情です。これで、「家庭をつくれ」というのは、どう考えても酷な話なのです。

自らの家庭をつくれない若者たちは、親と同居することとなります。これが、「パラサイト」であり、その数は一千万人を超えると言われます。

この数字の中には、ひきこもりの当事者も含まれています。これは、ひきこもり当事者にとっては、救いになります。

なぜなら、この事態は、新たに異性関係に入るとしても、同世代と比較して大きな遅れではないと言えるからです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月7日火曜日

ふられた痛みは嘆く必要がないことを知る

異性との交流は、必ずしもうまくいくとは限りません。むしろ、うまくいかない方がはるかに多いのが現実です。

メールで告白して「付き合っている人がいますから」と断られることもあるでしょう。そして、それを何回も経験することになります。

ふられて心に痛手を受けたダメージを「トラウマだ」などと嘆く必要はありません。「甘い痛み」として受け入れることです。決してあきらめる必要はありません。

別の新しい人を探すようにすればいいのです。人類の半分は「異性」なのですから、あせる必要などないのです。

「もう少し力をつけること」「もう少しうまくやる必要があったこと」を振り返り、「うまくいかなかった場合には、自らの勇気をたたえて」、「うまくいかなかったら教訓を得て」、次回につなげるようにしましょう。

異性のために奮起する、異性を意識するようになった時点で、リバウンドを克服した段階に達しているのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月6日月曜日

異性には勇気を出して話しかけることにした

異性には、少しずつ勇気を出して話しかけるようにします。異性は、社会の半数を占める存在なので、異性との会話ができることには大きな意義があります。

好きな異性ができると、心がときめきます。人生がバラ色に見えたり、相手のちょっとした動きが気になって、胸がいっぱいになったりします。これは、ひきこもっている間にはなかった体験であり、初めての体験であったりします。

異性の存在が気になる体験は、人間が人間であることを示す自然な体験ですから、気持ちを押し殺してしまう必要はありません。社会の半数は、異性によって構成されていますから、気になった異性は、その代表と言えるのです。

そして、あなたは、男性(女性)の代表なのです。ひとりの異性と会話や交流ができることは、異性全体と交流できることになります。まずは勇気を出して、ときめく心でおしゃべりなどを続けることです。

相手の気持ちを引き付けるためには、気持ちを表現できることが必要になりますが、居場所などでの経験を重ねていると、その訓練は行なわれていると言えます。

異性にアピールするためには、前向きに生きていることを感じさせる必要があります。マイナス思考や完全主義を少しずつ軽くしておくと良いでしょう。

男性が居場所などで好意を抱いた女性にアピールするためには、就労セミナーや就労訓練に参加する姿勢が必要になると言えます。

バイトなどの就労に慣れていくことは、異性を振り向かせる条件のひとつになります。そのためには、最小限の体力・筋力が必要になってきます。

親世代のように「男性に収入があること」を絶対条件にすることは誤りですが、少なくとも就労の可能性を示すことは有利な条件と言えます。

恋愛をきっかけに、相互が就労などの社会参加を試みる勇気を得ることは、すばらしいことです。女性の場合は、結婚・出産・子育てが、きわめて大切な社会参加となります。

「女のために生きる」と明言して、恋愛をバネに必死に働き出した元当事者も少なくありません。「好きな異性や家族を守る」ために必死になって働くことが、多くの人の生きがい・張り合いなのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月5日日曜日

ひきこもり中には異性との交際・交流ができなかった

思春期は異性を意識し始める時期であり、それ以前より異性が気になるようになります。

社会不安障害では、他人に見られる状況に弱いために、異性に噂されていないか気になったり、通りすがりの異性の視線が気になったりします。

ある体臭恐怖の男性は「女子高生とすれちがうことが怖かった」と述べました。口臭を気にして、マスクやタオルを使用するケースも見受けられます。

社会不安障害の定義は、「恥をかきそうな場面を回避してしまい、学業・仕事・家庭生活などがうまくいかなくなる」ことですが、ことさらに異性を意識してしまい、避けてしまうことが多いのです。

異性との友人関係は言うまでもなく、交際・恋愛・結婚なども回避されてしまいます。ひきこもりは、社会不安障害の症状が悪化した状態と言うことができます。

異性との交流に慣れる上で、居場所の役割は大きいと言えます。「同性なら何とか大丈夫」であることを尊重して、居場所では同性の仲間と交流することから開始します。

スタッフの声かけに慣れていく中で、少しずつ勇気を出して、異性との会話を試みるのです。当初は、「何を話して良いかわからない、話題が続かない」という悩みが多いのですが、これは「慣れ」の問題にすぎません。場面から逃げないで参加し続けているうちに、異性と自然な会話ができるようになります。

9年こもった社会不安障害の20代男性は、メール交換したことや、二人で逢ったことを報告してくれました。3年こもった男性は、自動車の免許を取り、バイトを開始する中で、異性との交際もできるようになりました。

社会不安障害から不登校・中退を繰り返した20代女性は、居場所に参加していましたが、1年も経たないうちに、会社員と交際・結婚して、一児の母親になりました。

回避症状から異性を避けていた場合にも、このように結婚まで可能となること、母親になった女性がいることなどは、当事者や親たちに限りない希望を与えてくれます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月4日土曜日

ありのままの自分でいることを学んだ

学校や会社で傷ついた当事者には、それとは異なる価値観に基づく集まり方が必要になります。

居場所がうまくいくためには、スケジュール主義・年齢主義・成績による差別・さまざまな管理主義・義務の強制・村八分的な「いじめ」など、このような形式主義から免れていることが必要です。

非教育的なスタイルほど、当事者の人間性を開放させてくれ、社会参加をうながしてくれるのです。

居場所やフリースペースでは、
(1)一律なスケジュールはなく、参加は任意です。
(2)さまざまな年齢層が、ごっちゃになって交流しています。
(3)場面に対する不安・緊張が強い人は、治療的に配慮されます。
(4)就労・就学の有無による評価を受けません。
(5)携帯電話の番号やメールを交換することは規制されません。
(6)出入りは、自由です。

居場所やフリースペースは、「のびのびすること」「生き生きすること」ができる場所と言えます。

「肩書き主義」「学歴主義」などの形式にとらわれることなく、「ありのままに」自分らしくしていられる場所、それが居場所・フリースペースなのです。

やりたいことが見つからない場合には、「自分には目標がない」などと悲観しないで、見つからないままにたたずんで良いのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月3日金曜日

肩書きや学歴に意味がないことに気づいた

当事者の考え方は、親と同様に、学歴主義・会社主義に縛られています。

「大学くらいは出ていないと」「正社員になれていないから」など、ひきこもりから脱した時点で、このようなこだわりを示す当事者は多いのです。

しかし、学歴だけで通用する時代は、過去のものとなりました。

総中流時代の大学は、入学しさえすれば、遊んでいても卒業することができました。企業社会が、社内教育しやすい「真っ白な人材」を求めていたからです。

ところが、格差社会と少子化の到来によって、大学をめぐる状況は一変しました。企業社会も即戦力を求めるようになり、質の良い卒業生を社会に送り出すことが大学の使命となりました。

「大学くらいは」が、通用しない時代になったのです。一方で、社会人入試など、年齢にこだわらない入学が増加しています。

自分にあった学び、本当に学びたい学びに気づいてから、大学や専門学校に入学しても遅くない、新しい学びの時代が到来したのです。

会社の状況も、だれもが正規の社員になれる時代は終わり、非正規社員での採用が主流となりました。

かつては、良い学歴が、良い会社と良い生活に直結すると言われましたが、グローバル化という経済変動の中で、親世代とは全く逆に、ほとんどの若者が、非正規社員とならざるを得なくなったのです。

「正社員」の肩書きを保証されない時代に、正社員にこだわり続けることは、時代錯誤に他なりません。

学歴主義・会社主義は、「マイナス思考」と見なすことが可能になりました。働き方にも、新しい精神とスタイルが登場したということができます。

時代状況が、ひきこもり当事者も家から出さえすれば、一般の若者と大差なく見えるようにしてくれたのです。

学歴・会社が、セイフティ・ネット(安全弁)でなくなった現在、それをどこに求めれば良いのでしょうか?
「自分自身にとっての最大のセイフティ・ネットは、自分自身である」と言えます。

形式ばった古い価値観にとらわれないで、あるがままの本音を探り当て、自分の適性や能力を生かすこと、それが今からの時代と社会を生きていく上で、最良の方法です。

居場所・親の会などは、そのための格好のスタート地点と言うことができます。

フロイトは、「人の人格は、社会規範と、個人の本能と、両者を調整する自我からなる」と述べていますが、社会規範が動揺する時代は、「自我」もまた動揺して見失われがちになる時代です。

「失われし字がを求めて」(ロロ・メイ)生きる視点からすれば、ひきこもりもそうでない若者も親も、「みな同じ地平に立っている」と言うことができるのです。

若者の混乱を「若者の変容」にすぎないとすることは、「総中流社会」という色眼鏡の効かせすぎと言えます。

若者の世界に起きているのは、親世代と同じ生き方が通用しない時代状況に放り出されて、どのように生きたら良いか、どのような社会的役割が可能か、だれとどのようにパートナーシップを組めば良いかといった、同一性(アイデンティティ)をめぐる葛藤・混乱に他なりません。

これは、エリクソンの言う「自己同一性」をめぐる混乱そのものです。フリーター・ニート・ひきこもり・パラサイトから、パーソナリティ障害・摂食障害・薬物依存症に至るまでの若者の病理現象の背後に、「同一性の混乱」を見い出すことができるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月2日木曜日

資格・免許・講座・進学・セミナー・プログラムに取り組んだ

人には「学びたい」という願望は、いつまでも残るようです。

特に、小中学校の不登校から長年ひきこもった場合には、高校進学が一般的になっていますので、「高校卒業の資格を取りたい」という思いが強く残ります。

小学4年から11年こもったA君、中学2年から17年こもったB君、中学3年から22年こもったC君は、「高卒資格認定校」へ通い、「高卒認定資格」を取得しました。

どちらかと言えば、ひきこもりからの脱出後には、就労より就学の方が取り組みやすいと言えます。「大検制度」から「高卒認定資格」に移行したことが、取り組みやすさを増しました。

現行の通信制や定時制は、年齢主義の息苦しさを十分に乗り越えておらず、就学期間の長さに対する配慮も不足しています。

東京都などでは、中退者が再挑戦するチャレンジスクールがスタートしましたが、競争率が高いという問題を生じました。

人口80万人の新潟市に、高卒認定コースの学院が複数あり、数百名の生徒が在籍する状況は、このコースが、第二の高等教育として公認されたことを示しています。

学歴別で最大層である高校中退群は「再チャレンジの意欲」が強いのが特徴で、大学中退群が大学卒業資格にこだわることがないことと対照的です。

高卒認定資格を取得したのちに専門学校や大学に進学した人、さらに、司法試験・公認会計士・税理士資格などを目指す人もいます。

彼らにとって、ひきこもりを脱することは、「希望の学び」と「希望の職業資格」に直結しているのです。

企業が、不況終了後も新卒採用にこだわわる中で、「年齢主義」を越えて学ぶことは、新しい時代の新しい学びの精神と言えます。学問と年齢はつながらなくなっている欧米のスタイルに近い「新しい学び方」なのです。

高卒無業の場合には、大学受験に失敗して、ひきこもったケースが目立ちますが、その失意を周囲がでれだけサポートできるかが、その後につながります。完全主義を乗り越えて、「合格水準に達していないから不合格は仕方ない」と思考転換することが大切です。

新しい土地と大学のクラスに馴染めないまま、ひきこもる大学生も目立ちます。大学休学のケースでは、社会不安障害や挫折体験から、うつ病へと進むことが多いようです。

アルバイトに精を出すかつての学生と違い、大学生のひきこもりのケースでは、ほとんどが仕送り生活です。

高校も大学も第一学年目に中退に至るケースが多いことから、「中一ギャップ」「高一ギャップ」に加えて、「大一ギャップ」までも存在すると言うことができます。

大卒無業は、就職氷河期世代に多く見受けられます。ある若者は、「企業への就職の競争率が百倍にも達する実情から、意欲を失った」と述べました。

都会で就職できず、地元へ戻っても、若者の集まりがないことから、家にいるしかなくなり、ひきこもったのです。

就職氷河期にまみれた25歳から35歳の世代に、フリーター・ニート・ひきこもりが大量に出現したことから、若者サポートステーションなどの若者福祉が行なわれるようになりました。

この世代は、文科省の定員増加策によって、学生数が多い年代にあたります。フリーター・ニート・ひきこもりの就労対策は、もっと大規模に、もっと根本的に行なわれる必要があります。

当事者の3割は、高校や大学を卒業して、就職就労した後のひきこもりです。

社会生活での挫折やうつ状態などによって退職に追い込まれ、回復後にも参加する場所がないままに、世間の目を気にして、ひきこもったケースが多いのです。

社会復帰のプログラムは、統合失調症やアルコール依存症などでは盛んですが、うつ病からの社会復帰プログラムや家族教室は存在せず、医師や心理カウンセラーの個別的な精神療法に委ねられているのが現状です。

挫折体験に対するカウンセリングや社会復帰プログラムの充実が求められるところです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

2008年10月1日水曜日

もはや孤独でないことに気づいた

ひきこもりが、ニートやフリーターと相違するのは、その孤独さにおいてです。ニートとひきこもりを峻別することは無理がありますが、交友関係があるとないとでは、質的に大きな違いがあります。

ひきこもりにも家族との交流はあるとされますが、心地よい交流があるケースは少なく、無言のままの気まずい思いが支配していたり、会話もほんのひと言であったり、ときに暴力に発展する緊張関係であったりします。

ひきこもりの場合には、ほとんど「孤独」であると言えるのです。孤独の中で、対人交流の欲求は、テレビ・ラジオ・パソコン・ゲーム・雑誌などのメディアに向かいます。彼らが雑学なのは、そのためと言えます。

しかし、NPO・居場所・フリースペースで、自分の存在をそのままに受け止められ、友だち・仲間ができて、日常的に交流できるようになると、もはや「孤独ではない」という感覚が生じてきます。

他人と交流できるようになると、ひきこもり状態から脱していることは明らかです。閉ざされた生活に戻りたい人はいないのですから、仲間といながら社会参加をさぐる方向へと、流れは自然に向かっていきます。

不安定な感情にかられ、自分を見失う典型である境界型パーソナリティ障害ですら、仲間やスタッフをモデリングすることによって、行動が落ち着いていくのが観察されます。

アルコール依存症・薬物依存症・摂食障害などの依存症では、仲間作りそのものが、病気を乗り越えていくために有効とされます。

孤立の病にとっては、精神療法や薬物療法はもちろんですが、集団療法的な場に参加して孤立を脱することが治癒力を持つのです。

ひきこもりは、現代社会の病理である「孤立」を特徴としています。従って、ひきこもり問題に取り組み、ひきこもりからの回復を支えることは、現代社会に対する人間回復の根源的な営みと言うことができるのです。

対人関係を喪失した孤独な世界から回復することは、別の孤独な中へ投げ込まれることであってはなりません。

ひきこもりからの回復は、温かみのある、生きていて良かったと感じさせる世界への脱出でなくてはならないのです。

孤独でないと感じられる世界に脱出でき、ひきこもることでしか保つことができなかった敏感な感性が生き生きと動き出す場合には、ひきこもりからの回復は真の回復であると言うことができます。

そして「もはや孤独ではない」と感じることができた場合には、当事者は、現代人の病理の本質と、それから回復する術を経験したことになるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。