ひきこもりに対する社会の対応について、再確認したいと思います。
戦後社会の家族は、核家族が過半数を占めて、家族形態の中心となりました。経済成長の時代は、家族同士が、学歴・会社・生活のレベルを競い合いました。
その結果、9割の家族が中流意識を持つ「一億総中流社会」という「平等社会」が出現しました。市民意識・個人意識が、成長した成熟社会を生み出すのかと思われましたが、結果的に、孤立主義に強く傾き、破綻する若者が急増しました。
ひきこもりも、「孤立主義」の犠牲者と言うことができます。そして、ひきこもり当事者は、社会から置き去りにされています。長期のひきこもり当事者は、すでに30代・40代・50代を迎えようとしています。
親たちは、不登校の初期から、公的な相談機関への相談を繰り返してきました。
しかし、「様子を見ましょう」「本人をつれて来てください」「自分で出る力を信じて」などと言われ、問題解決が進まなかったのです。
24年ひきこもった40代男性は、社会的な発達障害に加えて、栄養障害による身体障害まで合併していました。
父親はすでに死亡し、母親はうつ病を繰り返して、家庭崩壊が進み、自殺か一家心中かという瀬戸際まで追い込まれましたが、間一髪救出されました。
中学2年時の社会不安障害から22年ひきこもった男性は、言葉を発する力を失っていました。
18年こもった30代男性は、抑うつ状態・記銘力の低下・歩行障害を示し、CT検査で「大脳小脳の委縮」が認められました。
ひきこもりは、できるだけ早い時期に、できるだけ若い年齢のうちに対応する必要があることが、これらのケースから断言できるのです。
経過観察だけで良いひきこもり状態は、安定した精神活動と身体活動が保たれ、栄養障害がない場合だけです。
小中学の不登校から、ひきこもりが長期間にわたって遷延化した場合には、特に全面的な対応が求められます。特殊な状況にある児童生徒への対応が、行政や教育の側に欠けていました。
憲法では、基本的人権(第11条)、健康で文化的な生活を送る権利(第25条)を保障しています。10代からの長期的ひきこもりの様相を見る限り、これらの権利は保障されていません。
コミュニティの子であるはずの彼らは、制度の隙間に捨て置かれてきました。今こそ、公的な対応のシステムを確立することが求められているのです。
高校中退からひきこもりが始まるケースは、高等教育の不備さや、中学校での進路指導の不足を示しています。大卒無業に由来するひきこもりは、景気変動を吸収できない経済システムの問題です。退職後のひきこもりは、カウンセリング体制の弱さということができます。
これらは、各家族の個別的努力を越えた困難さを背負っていて、社会全体が、次世代育成という観点から、全面的に対応することが求められるのです。
ひきこもり支援のシステムとして、医療・NPO・行政などに、さまざまな団体があり、その数は増加中ですが、ひきこもり全体の平均年齢が30歳を突破しようとする現段階では、もはや猶予は許されません。
「縄張り意識・縦割り意識」は、問題解決にとって大きな弊害となります。ひきこもる若者たちは、社会全体の「大切な子」なのですから、支援する側のいがみ合いや営利主義は、やめるべきです。
多くの支援システムが連携して、総合的に対処する必要があると言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年10月16日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿