2008年10月1日水曜日

もはや孤独でないことに気づいた

ひきこもりが、ニートやフリーターと相違するのは、その孤独さにおいてです。ニートとひきこもりを峻別することは無理がありますが、交友関係があるとないとでは、質的に大きな違いがあります。

ひきこもりにも家族との交流はあるとされますが、心地よい交流があるケースは少なく、無言のままの気まずい思いが支配していたり、会話もほんのひと言であったり、ときに暴力に発展する緊張関係であったりします。

ひきこもりの場合には、ほとんど「孤独」であると言えるのです。孤独の中で、対人交流の欲求は、テレビ・ラジオ・パソコン・ゲーム・雑誌などのメディアに向かいます。彼らが雑学なのは、そのためと言えます。

しかし、NPO・居場所・フリースペースで、自分の存在をそのままに受け止められ、友だち・仲間ができて、日常的に交流できるようになると、もはや「孤独ではない」という感覚が生じてきます。

他人と交流できるようになると、ひきこもり状態から脱していることは明らかです。閉ざされた生活に戻りたい人はいないのですから、仲間といながら社会参加をさぐる方向へと、流れは自然に向かっていきます。

不安定な感情にかられ、自分を見失う典型である境界型パーソナリティ障害ですら、仲間やスタッフをモデリングすることによって、行動が落ち着いていくのが観察されます。

アルコール依存症・薬物依存症・摂食障害などの依存症では、仲間作りそのものが、病気を乗り越えていくために有効とされます。

孤立の病にとっては、精神療法や薬物療法はもちろんですが、集団療法的な場に参加して孤立を脱することが治癒力を持つのです。

ひきこもりは、現代社会の病理である「孤立」を特徴としています。従って、ひきこもり問題に取り組み、ひきこもりからの回復を支えることは、現代社会に対する人間回復の根源的な営みと言うことができるのです。

対人関係を喪失した孤独な世界から回復することは、別の孤独な中へ投げ込まれることであってはなりません。

ひきこもりからの回復は、温かみのある、生きていて良かったと感じさせる世界への脱出でなくてはならないのです。

孤独でないと感じられる世界に脱出でき、ひきこもることでしか保つことができなかった敏感な感性が生き生きと動き出す場合には、ひきこもりからの回復は真の回復であると言うことができます。

そして「もはや孤独ではない」と感じることができた場合には、当事者は、現代人の病理の本質と、それから回復する術を経験したことになるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

0 件のコメント: