いつの時代にも、若者は時代の分岐点を敏感に感じ取ってきました。
不登校・ひきこもりは、「既成の価値観が、身の丈に合わないと感じ取る力が働いた」と思われます。学歴・会社を求められる社会、競争を強いられる社会は、感受性の強い人にとっては、住みずらいものです。
社会の問題性を意識する力がない時には、自分には力がない、自分が悪いと思いがちです。当事者たちは、時間が経ってから、ひきこもりから脱してから、その事実に気づくのです。
ひきこもり中に何も起こらなかったとしても、自分自身が大切に保たれていることにも気づくのです。
社会環境や規範が激しく変化する中で、若者全体が生き方をめぐって悩むようになっています。
格差社会の安全弁は、「自分自身を生きること」にあると言えますが、ひきこもることによって自分自身を保つことができた場合には、ひきこもりは必ずしも不利ではないのです。
また、必ずしも、遅れたことにもならないのです。ひきこもりから脱すると共に、彼らは再び若者全体の中に戻ったと言うことができます。自分自身を保ったひきこもりは、大きな能力を示したのです。
極限のような生活の中で大崩れすることなく、ひきこもり続けることは、「能力」に他なりません。それは、「極限を耐え抜く能力」と言うことができるのです。
ひきこもりを解消できた人の数は、圧倒的に少ないのが現状です。このような状況下で、ひきこもりを脱した当事者の存在意義は、きわめて大きいと言えます。
当事者ひとりが家から出ただけで、親たちや取り巻く人々は、希望を抱くことができるようになります。また、当事者には、当事者にしかわからない苦しみを理解することができます。
その体験を語り、アドバイスを伝えることは、まだ苦しむ人にとって大きな救いとなります。
希望や救いを与えることは、一家心中などの悲劇を抑止する力となって、社会的にきわめて大きな役割を果たしていると言うことができるのです。
ひきこもりから脱した経験は、きわめて貴重な経験です。人生は、いつからでもスタートです。人生に無駄などありません。決して遅れていないのですから、あせる必要もないのです。
大切な自分の感性は保たれています。時代は大きく変化して、新しい学びと働きの精神が、登場しています。
自分自身を、自分らしく、自分のため、人のために生きていることを、一歩一歩確認しながら、歩んでいきましょう。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年10月18日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿