「出たいが出られない」アンビバレンツ(両価的)なひきこもり当事者の心理を理解して、親の方から変わる方法や訪問サポートで第三者を介在させる方法などは、有効と言えます。
しかし、数年に及ぶひきこもりから動き出した当事者は、周囲のシステムと対応の仕方によっては、リバウンドして後戻り(家に戻ったり、部屋にこもったり)することもあります。
親に必要なことは、当事者が家を出て、NPOや居場所に参加したことで安心することなく、当事者を見守り続けることです。
社会全体の変化や若者の全体状況を知る作業を続け、親自身の「ものの見方」を現実に合わせて変えていくことは、当事者の社会参加の可能性を高めてくれます。
それが、結果として、リバウンドを防ぐことになるのです。
世間体という基準は、もう少し広い価値基準に変えていく必要があります。
親はアナログ世代、子はデジタル世代と言われ、世代間格差はかつてないものになっています。
この格差を埋める有効な作業に、親がパソコンを扱えるようになることがあります。パソコンを扱えることは、親子間の共通語を獲得することにつながるのです。
当事者は、そんな親の姿から心の距離を縮めてくれるでしょう。
定年退職後の人生は、30年もあります。「引退人生」と決め込んで無気力に過ごすか、新しい時代の知識を得ながら英知に満ちた30年を創造するかによって、人生はまったく違ってきます。
「40の手習い」は寿命50年時代のことで、今は「60,70の手習い」なのです。人は、いつからでも学ぶことができます。「人生はいつからでもスタート」なのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月31日日曜日
2008年8月30日土曜日
強制的に対応した場合は特に注意
リバウンドは、業者に依頼したり、長期の合宿生活をしたり、NPOであっても、一定の条件下で発生すると言えます。
それは、NPO・居場所などで、親密な人間関係を持てず、仲間やスタッフとの交流が不十分で、社会参加への動機づけができなかった場合です。
リバウンドが多いケースは、強制的に施設入所がなされ、強制的に労働・ボランティアに従事させられた場合です。
こういう場合には、家族教室など親の教育が行われていないことが多いという実情があります。
強制するのは、「当事者が自分から外へ出ること」を想定していないからです。
しかし、強制されなくても、ひきこもり状態から脱することは、親の変化・訪問サポート・公的な支援によって可能になります。
当事者が、自分から出て来る場合もあるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
それは、NPO・居場所などで、親密な人間関係を持てず、仲間やスタッフとの交流が不十分で、社会参加への動機づけができなかった場合です。
リバウンドが多いケースは、強制的に施設入所がなされ、強制的に労働・ボランティアに従事させられた場合です。
こういう場合には、家族教室など親の教育が行われていないことが多いという実情があります。
強制するのは、「当事者が自分から外へ出ること」を想定していないからです。
しかし、強制されなくても、ひきこもり状態から脱することは、親の変化・訪問サポート・公的な支援によって可能になります。
当事者が、自分から出て来る場合もあるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月29日金曜日
過去の傷に触れない
リバウンドとは、いったんひきこもりから脱した当事者が、再びひきこもりに戻ることを言います。
回復をスムースにすることと、リバウンドを防ぐことは、互いに重なっています。
当事者のリバウンドを防ぐためには、以下の努力を続けることが必要になります。
いったん出て来て再びひきこもらせないためには、「ひきこもっていた時」より「今の生活の方が良い」と思えることが必要です。
辛い時期を思い出させないように注意してください。過去のいじめの話題や近隣・親戚の同世代について触れてぼやくことは、禁物となります。
ひきこもりながらでも、変化、成長は続いています。ひきこもりからの回復も、当然生じるのです。
親には「人は回復し、成長し、変化するもの」という観点を持つ必要があります。
成長していない、変化していないと思うことは、ひきこもる当事者の今後の可能性をつぶしてしまうことにつながります。
過去にこだわらず、あるがままを見据えて、「今ここから」スタートすることです。「人はどんな時からでも変わるのだ」と信じて欲しいのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
回復をスムースにすることと、リバウンドを防ぐことは、互いに重なっています。
当事者のリバウンドを防ぐためには、以下の努力を続けることが必要になります。
いったん出て来て再びひきこもらせないためには、「ひきこもっていた時」より「今の生活の方が良い」と思えることが必要です。
辛い時期を思い出させないように注意してください。過去のいじめの話題や近隣・親戚の同世代について触れてぼやくことは、禁物となります。
ひきこもりながらでも、変化、成長は続いています。ひきこもりからの回復も、当然生じるのです。
親には「人は回復し、成長し、変化するもの」という観点を持つ必要があります。
成長していない、変化していないと思うことは、ひきこもる当事者の今後の可能性をつぶしてしまうことにつながります。
過去にこだわらず、あるがままを見据えて、「今ここから」スタートすることです。「人はどんな時からでも変わるのだ」と信じて欲しいのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月28日木曜日
妻任せをやめて近づく努力を
当事者となかなか向き合おうとしない父親は、「妻任せ」であることがほとんどです。
「俺は放任主義者だ」と開き直ってしまう父親もいます。放任主義は、「ひきこもったのは当事者の責任であり、父親の自分とは関係ない」とすることです。
しかし、これは父親としての弱音の裏返しかもしれません。「子供に近づく方法がわからない」と告白しているようなものです。
実は、最初から放任主義者であり、妻任せだった父親は少なく、当事者が小さかった頃、一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、おんぶ・抱っこ・肩車をして喜ばせた経験のある父親は多いのです。
多くの父親たちは、子供の幼少期には一緒に遊ぶ「良い父親」だっやのですが、わが子が思春期や青年期に達する頃には、父親自身が多忙となり、会社での責任も重くなって、交流する余裕は失われてきます。
単身赴任は、父子が心理的に離れる極めつけの出来事と言えます。会話する機会は言うまでもなく、わが子の姿を見る機会すら失われるからです。
この年代は、子供の反抗期と重なりますから、会話が成立しないこともあります。こうして、少しずつ、わが子との交流が減って、心の隙間が生まれ、父親は「放任主義者」にならざるを得なかったのではないでしょうか。
わが子の教育・養育が妻任せとなり、「稼ぐことが父親の責務」という分業論に逃げてしまった。その意味では、父親も「被害者」かもしれません。
しかし、父親である以上、最後までわが子に責任を持たなくてはなりません。そのことを知っているから、今こうして、ひきこもる当事者のことで悩んでいるわけです。
悩んでいるということは、一歩、問題に近づいた、当事者に近づいた、放任主義者でなくなったということです。これまで、ひきこもり当事者と向かい合って疲れ切った妻に代わって、父親が登場しましょう。
親の集まりでは、夫婦での参加をすすめています。父親は妻と共に、親の会・家族教室・家族会に参加することから始めましょう。
夫婦での参加は、専業主婦だった妻が、夫の社会的な立ち振る舞いを初めて見る機会を与えてくれ、その後の夫婦関係の礎となってくれます。
父親が参加することで、家庭内の力関係は、2対1と親側が有利になります。
父親の参加は、親全体が関心を持ってくれたことを意味します。当事者にとって、それは今までにない新しい展開なのです。
親の会では、他の父親と問題を共有する中で、ひきこもりというすれ違い状態にあるわが子との接近の仕方を学ぶことができます。
声かけをし、さり気ない世間話、よもやま話をする中で、生活を共にする感覚を親子ともども作っていきましょう。平たい言葉で言えば、「再び苦楽を共にする」ということでしょうか。
人生、楽しいことばかりではありません。苦しいことの方が多いかもしれません。だからこそ、家族との生活、親子が向き合う生活を作るのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
「俺は放任主義者だ」と開き直ってしまう父親もいます。放任主義は、「ひきこもったのは当事者の責任であり、父親の自分とは関係ない」とすることです。
しかし、これは父親としての弱音の裏返しかもしれません。「子供に近づく方法がわからない」と告白しているようなものです。
実は、最初から放任主義者であり、妻任せだった父親は少なく、当事者が小さかった頃、一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、おんぶ・抱っこ・肩車をして喜ばせた経験のある父親は多いのです。
多くの父親たちは、子供の幼少期には一緒に遊ぶ「良い父親」だっやのですが、わが子が思春期や青年期に達する頃には、父親自身が多忙となり、会社での責任も重くなって、交流する余裕は失われてきます。
単身赴任は、父子が心理的に離れる極めつけの出来事と言えます。会話する機会は言うまでもなく、わが子の姿を見る機会すら失われるからです。
この年代は、子供の反抗期と重なりますから、会話が成立しないこともあります。こうして、少しずつ、わが子との交流が減って、心の隙間が生まれ、父親は「放任主義者」にならざるを得なかったのではないでしょうか。
わが子の教育・養育が妻任せとなり、「稼ぐことが父親の責務」という分業論に逃げてしまった。その意味では、父親も「被害者」かもしれません。
しかし、父親である以上、最後までわが子に責任を持たなくてはなりません。そのことを知っているから、今こうして、ひきこもる当事者のことで悩んでいるわけです。
悩んでいるということは、一歩、問題に近づいた、当事者に近づいた、放任主義者でなくなったということです。これまで、ひきこもり当事者と向かい合って疲れ切った妻に代わって、父親が登場しましょう。
親の集まりでは、夫婦での参加をすすめています。父親は妻と共に、親の会・家族教室・家族会に参加することから始めましょう。
夫婦での参加は、専業主婦だった妻が、夫の社会的な立ち振る舞いを初めて見る機会を与えてくれ、その後の夫婦関係の礎となってくれます。
父親が参加することで、家庭内の力関係は、2対1と親側が有利になります。
父親の参加は、親全体が関心を持ってくれたことを意味します。当事者にとって、それは今までにない新しい展開なのです。
親の会では、他の父親と問題を共有する中で、ひきこもりというすれ違い状態にあるわが子との接近の仕方を学ぶことができます。
声かけをし、さり気ない世間話、よもやま話をする中で、生活を共にする感覚を親子ともども作っていきましょう。平たい言葉で言えば、「再び苦楽を共にする」ということでしょうか。
人生、楽しいことばかりではありません。苦しいことの方が多いかもしれません。だからこそ、家族との生活、親子が向き合う生活を作るのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月27日水曜日
傷ついたときにはカム・アウト
「当事者に謝るより、こちらが謝って欲しいくらいだ」と言いたい父親も多いかもしれません。
過去に当事者の家庭内暴力を受けたり、応戦して暴力を振るったことがトラウマとなって、傷ついたまま気持ちを乗り越えられない父親がいるからです。
この場合には、どうしたらいいのでしょうか?
男性にとって暴力の犠牲になることは屈辱的であり、民主的な父親にとっては、自分が暴力を振るったこと自体が屈辱的です。
「男の沽券」を守ろうとして、男親が取り組みに消極的になった場合には、問題解決の困難さは増します。
こんな場合の解決方法の一つが、ひきこもりの親の会で「告白」することです。
過去にあった事実を、正直に他人の前で口にすること(カム・アウト)なのです。
これは相当に勇気のいることです。他人に自分の知られたくない過去を知らせてしまう行為ですから、「弱い自分」をさらけ出すことにもなります。
しかし、屈辱や恐怖などのマイナスの感情は、避けようとすればするほど強くなる性質を持っています。
屈辱感をそのままにしておくこと自体が、屈辱感を増大させるのです。
従って、今この時こそが、カム・アウトのチャンスなのです。その後の展開にとって、効果はきわめて大きいものがあります。
話を聞いて、別の父親が同じような体験を語り出し、自分だけではないことに気づくことができた場合には、肩の荷が下りることでしょう。
そして、気がつくと、屈辱感そのものが消失しているのです。
中垣内 正和(著)『マーフィーの幸福論』から要約しました。
過去に当事者の家庭内暴力を受けたり、応戦して暴力を振るったことがトラウマとなって、傷ついたまま気持ちを乗り越えられない父親がいるからです。
この場合には、どうしたらいいのでしょうか?
男性にとって暴力の犠牲になることは屈辱的であり、民主的な父親にとっては、自分が暴力を振るったこと自体が屈辱的です。
「男の沽券」を守ろうとして、男親が取り組みに消極的になった場合には、問題解決の困難さは増します。
こんな場合の解決方法の一つが、ひきこもりの親の会で「告白」することです。
過去にあった事実を、正直に他人の前で口にすること(カム・アウト)なのです。
これは相当に勇気のいることです。他人に自分の知られたくない過去を知らせてしまう行為ですから、「弱い自分」をさらけ出すことにもなります。
しかし、屈辱や恐怖などのマイナスの感情は、避けようとすればするほど強くなる性質を持っています。
屈辱感をそのままにしておくこと自体が、屈辱感を増大させるのです。
従って、今この時こそが、カム・アウトのチャンスなのです。その後の展開にとって、効果はきわめて大きいものがあります。
話を聞いて、別の父親が同じような体験を語り出し、自分だけではないことに気づくことができた場合には、肩の荷が下りることでしょう。
そして、気がつくと、屈辱感そのものが消失しているのです。
中垣内 正和(著)『マーフィーの幸福論』から要約しました。
2008年8月26日火曜日
父親の過剰圧力
父親は、過剰な圧力を子供にかけていないかを、振り返ってください。
特に、「世間体を気にしすぎる」父親には、過剰圧力の傾向がみられます。
1回のお説教でいいところを、3回も4回もお説教してしまう。くどくどと、強圧的に、感情むき出しにしてしまうことはありませんか?
親は、それを「叱咤激励だ」と言い訳します。しかし、親はそのつもりでも、子供は「激励」と受け取るでしょうか?
強圧的な叱咤は、当事者にとっては「恐怖」そのものです。恐怖によって、気持ちはますます萎縮します。ひきこもり当事者にしてみたら、強圧的に叱られるほどに、ますます部屋にひきこもりたくなります。
親の叱咤が、愛情表現ではなく、「怒り」の表現となっていないでしょうか?
親の怒りを感じ取った当事者は、2階の自宅で震えていたり、PTSD(恐怖心がよみがえる)になったりするのです。
強圧的な親の元で長年ひきこもった若者に、入院後に身長が伸びる不思議な現象が観察されました。彼らがいかに委縮していたかがわかります。
父親は「小言」のつもりで言ったとしても、受け取る当事者には「大ごと」になっていることが多いのです。
どんな叱り方にしろ、威圧タイプの父親は、本気で関係を改善するつもりなら、一度は当事者に謝る必要があります。
内容の成否はともかく、威圧自体が当事者を傷つけているのですから、「とにかく謝ること」が必要とまります。
なぜなら、謝る行為自体が、事態の改善に大きな影響を与えてくれるからです。謝罪が必要であった具体的な理由については、その後じっくり考えて、後でうなずけば良いのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
特に、「世間体を気にしすぎる」父親には、過剰圧力の傾向がみられます。
1回のお説教でいいところを、3回も4回もお説教してしまう。くどくどと、強圧的に、感情むき出しにしてしまうことはありませんか?
親は、それを「叱咤激励だ」と言い訳します。しかし、親はそのつもりでも、子供は「激励」と受け取るでしょうか?
強圧的な叱咤は、当事者にとっては「恐怖」そのものです。恐怖によって、気持ちはますます萎縮します。ひきこもり当事者にしてみたら、強圧的に叱られるほどに、ますます部屋にひきこもりたくなります。
親の叱咤が、愛情表現ではなく、「怒り」の表現となっていないでしょうか?
親の怒りを感じ取った当事者は、2階の自宅で震えていたり、PTSD(恐怖心がよみがえる)になったりするのです。
強圧的な親の元で長年ひきこもった若者に、入院後に身長が伸びる不思議な現象が観察されました。彼らがいかに委縮していたかがわかります。
父親は「小言」のつもりで言ったとしても、受け取る当事者には「大ごと」になっていることが多いのです。
どんな叱り方にしろ、威圧タイプの父親は、本気で関係を改善するつもりなら、一度は当事者に謝る必要があります。
内容の成否はともかく、威圧自体が当事者を傷つけているのですから、「とにかく謝ること」が必要とまります。
なぜなら、謝る行為自体が、事態の改善に大きな影響を与えてくれるからです。謝罪が必要であった具体的な理由については、その後じっくり考えて、後でうなずけば良いのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月25日月曜日
母親のペットにしていないか?
多くの場合に、母親と当事者の距離は、近すぎると言えます。
母親は、食事を作り、部屋の前まで運び、当事者の下着からパジャマまで洗濯します。当事者の部屋の掃除をすることもあります。
その結果、どうなるかと言うと、当事者の自立心は失われてしまうのです。母親は「家事は母親の仕事」として疑問すら抱かないのです。
感情不安定から問題行動を多発する「ボーダーライン」というパーソナリティー障害の原因は、日本では幼少時の過保護にあると言われています。
盲目的な過保護、自立を阻害してしまうような過保護が問題なのです。いわゆる、ペット化です。
ペット化されると、自分の感情をコントロールする力が身につきません。これは、ある意味で、虐待や養育放棄と、本質的に変わらないのです。
盲目的な過保護・過干渉は自立心を損ないますが、損なわれた自立心をひきこもりと置き換えても、同じことが言えます。
ひきこもりの当事者の親、特に母親は、盲目的な過保護でなかったかどうかを振り返ってください。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
母親は、食事を作り、部屋の前まで運び、当事者の下着からパジャマまで洗濯します。当事者の部屋の掃除をすることもあります。
その結果、どうなるかと言うと、当事者の自立心は失われてしまうのです。母親は「家事は母親の仕事」として疑問すら抱かないのです。
感情不安定から問題行動を多発する「ボーダーライン」というパーソナリティー障害の原因は、日本では幼少時の過保護にあると言われています。
盲目的な過保護、自立を阻害してしまうような過保護が問題なのです。いわゆる、ペット化です。
ペット化されると、自分の感情をコントロールする力が身につきません。これは、ある意味で、虐待や養育放棄と、本質的に変わらないのです。
盲目的な過保護・過干渉は自立心を損ないますが、損なわれた自立心をひきこもりと置き換えても、同じことが言えます。
ひきこもりの当事者の親、特に母親は、盲目的な過保護でなかったかどうかを振り返ってください。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月24日日曜日
互いの距離を変える
親として機能できるためには、不登校がそうであったように、これまでと違ったやり方で、ひきこもりと向き合えるようになることが必要です。
このように言うと、「引き出し業者」に強制的な連行を依頼して、拉致監禁を容認する親もいるのです。そうした強硬な手段によって引き起こされた事件は、過去に数多く発生しています。
不幸にして命を落とした若者もいます。合法的な手段であっても、施設に強制的に収容された結果、統合失調症を発症したケースも報告されています。
強制的な方法に頼りたい気持ちはよく理解できます。それだけ親も切羽詰まっていると思われますが、強制的手段だけでは問題は解決しないのです。
それでは、どうしたらいいのでしょうか?
まず、今までのやり方に誤り・偏り・限界があり、結果として無力であったことを振り返ります。
次に、それまでの「親子の間の距離の取り方」を変更する作業を行います。
それは、夫婦間の距離を近くすることにもつながります。
原則は、「近すぎた距離は遠ざけ、遠すぎた距離は近づける」ということです。
次回から、「距離を見直すためのヒント」を4つご紹介します。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
このように言うと、「引き出し業者」に強制的な連行を依頼して、拉致監禁を容認する親もいるのです。そうした強硬な手段によって引き起こされた事件は、過去に数多く発生しています。
不幸にして命を落とした若者もいます。合法的な手段であっても、施設に強制的に収容された結果、統合失調症を発症したケースも報告されています。
強制的な方法に頼りたい気持ちはよく理解できます。それだけ親も切羽詰まっていると思われますが、強制的手段だけでは問題は解決しないのです。
それでは、どうしたらいいのでしょうか?
まず、今までのやり方に誤り・偏り・限界があり、結果として無力であったことを振り返ります。
次に、それまでの「親子の間の距離の取り方」を変更する作業を行います。
それは、夫婦間の距離を近くすることにもつながります。
原則は、「近すぎた距離は遠ざけ、遠すぎた距離は近づける」ということです。
次回から、「距離を見直すためのヒント」を4つご紹介します。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月23日土曜日
ひきこもりの解決に希望を抱き、一喜一憂しないことにした
「希望」は一見ありふれた言葉ですが、自我心理学においては、人の発達の原点にある大切な言葉として位置づけられています。
精神科医のE・H・エリクソンは、人間の心の発達を8段階に区分した中で、生後に母親に基本的信頼感を抱く過程で「希望」がはぐくまれるとしました。
「希望を分かち合えること」が、カウンセリングの成否を決定づけることは、専門家の間では周知のところです。「希望を抱くこと」が、大切なのです。
「希望を持てない」「うまくいかない」と思いながら取り組むことが、良い結果に結びつくでしょうか?医師が、「この薬は効かないかも」と言いながら投与した場合に、効き目はどうなるでしょうか?
否定的な思い自体が、うまくいく可能性を引き下げてしまいます。
「初めに意志ありき」「初めに言葉ありき」という格言のごとく、ひきこもり問題に関しては、「初めに希望ありき」なのであって、それが目的と意志を明確にしてくれるのです。
これに対して、「一喜一憂」という言葉は、「希望・目的・意志」の反対の言葉となります。むやみに動揺する親の感情が問題なのは、親の感情がすぐ当事者に伝わってしまうからです。
親のマイナス感情は、当事者のマイナス感情に直結し、親のマイナス思考は、当事者のマイナス思考に直結します。
ひきこもりの場合は、親の希望喪失が、当事者の希望喪失に直結するのです。これが、ひきこもりが「渦のように深まる」大きな原因になるのです。
過剰反応して一喜一憂することは、親に極度の疲労・うつ状態・無感動状態を引き起こすことになります。
親のうつ状態・身体的な病気は、当事者にも深刻な影響を与え、ひきこもりはいっそう脱出困難な状況となるのです。
親がある時点で居直ることができ、希望・目的・意志を持つことができれば、当事者も社会に対して居直ることができるようになります。
「希望を抱く考え方に変えて一喜一憂しない」居直りの姿勢が、良い結果につながります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
精神科医のE・H・エリクソンは、人間の心の発達を8段階に区分した中で、生後に母親に基本的信頼感を抱く過程で「希望」がはぐくまれるとしました。
「希望を分かち合えること」が、カウンセリングの成否を決定づけることは、専門家の間では周知のところです。「希望を抱くこと」が、大切なのです。
「希望を持てない」「うまくいかない」と思いながら取り組むことが、良い結果に結びつくでしょうか?医師が、「この薬は効かないかも」と言いながら投与した場合に、効き目はどうなるでしょうか?
否定的な思い自体が、うまくいく可能性を引き下げてしまいます。
「初めに意志ありき」「初めに言葉ありき」という格言のごとく、ひきこもり問題に関しては、「初めに希望ありき」なのであって、それが目的と意志を明確にしてくれるのです。
これに対して、「一喜一憂」という言葉は、「希望・目的・意志」の反対の言葉となります。むやみに動揺する親の感情が問題なのは、親の感情がすぐ当事者に伝わってしまうからです。
親のマイナス感情は、当事者のマイナス感情に直結し、親のマイナス思考は、当事者のマイナス思考に直結します。
ひきこもりの場合は、親の希望喪失が、当事者の希望喪失に直結するのです。これが、ひきこもりが「渦のように深まる」大きな原因になるのです。
過剰反応して一喜一憂することは、親に極度の疲労・うつ状態・無感動状態を引き起こすことになります。
親のうつ状態・身体的な病気は、当事者にも深刻な影響を与え、ひきこもりはいっそう脱出困難な状況となるのです。
親がある時点で居直ることができ、希望・目的・意志を持つことができれば、当事者も社会に対して居直ることができるようになります。
「希望を抱く考え方に変えて一喜一憂しない」居直りの姿勢が、良い結果につながります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月22日金曜日
困難ケースに支援
困難ケースとは、10年以上の長期化、35歳以上の高齢化、小中学校の不登校から長期化した例、ひとり親家庭の例、暴力・器物損壊などの衝動行為が目立つ例、統合失調症との識別ができにくい例などを指します。
これらの多くは、民間のサポートのみでは対応困難と思われ、公的機関の関与・協力が必要と言えます。
対人交流可能なニートを対象にした政策が、景気回復によって一段落した現況では、対人交流の不可能なひきこもりの困難なケースへの対応システムを充実させることが求められています。
長期にわたって心身の活動を制限した生活を続けた場合に、人間がどう変化するかを想像してみる必要があります。
運動不足による筋力低下から、脳委縮による思考障害、歩行障害、骨粗鬆症、圧迫骨折まで、さまざまな「廃用性障害」をきたす危険性が高くなります。
20年以上こもった男性のケースでは、地域支援センターのスタッフが家族を訪問し、病院のケースワーカーを介して、医師・親の会とつないでくれました。
たちどころに、医師・病院・地域支援センター・保健所・精神保健福祉相談員による「プロジェクトチーム」が形成され、2週間後には「状況因性の幻覚妄想」「極度の栄養障害」にあった当事者の救出が実現されました。
このケースは、さまざまな支援システムが連携して取り組むことの大切さを示してくれています。連携の力が、最悪の「悲劇を抑止する力」になったと言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
これらの多くは、民間のサポートのみでは対応困難と思われ、公的機関の関与・協力が必要と言えます。
対人交流可能なニートを対象にした政策が、景気回復によって一段落した現況では、対人交流の不可能なひきこもりの困難なケースへの対応システムを充実させることが求められています。
長期にわたって心身の活動を制限した生活を続けた場合に、人間がどう変化するかを想像してみる必要があります。
運動不足による筋力低下から、脳委縮による思考障害、歩行障害、骨粗鬆症、圧迫骨折まで、さまざまな「廃用性障害」をきたす危険性が高くなります。
20年以上こもった男性のケースでは、地域支援センターのスタッフが家族を訪問し、病院のケースワーカーを介して、医師・親の会とつないでくれました。
たちどころに、医師・病院・地域支援センター・保健所・精神保健福祉相談員による「プロジェクトチーム」が形成され、2週間後には「状況因性の幻覚妄想」「極度の栄養障害」にあった当事者の救出が実現されました。
このケースは、さまざまな支援システムが連携して取り組むことの大切さを示してくれています。連携の力が、最悪の「悲劇を抑止する力」になったと言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月21日木曜日
冷静に、根気強く、タイミングを待つ
「石の上にも3年」と言われます。「ひきこもりからの脱出にも3年」です。
親の相談受診から始まるひきこもり外来では、過半数が1年以内に当事者の外来受診と居場所参加に成功しています。
親が親の会に取り組んだ場合に、当事者が来院しなかったにもかかわらず、3年後に社会参加できるようになったケースもあります。
ひきこもりからの脱出に成功するかどうかは、親が冷静になり、賢明さを取り戻し、働きかけのタイミングを待つことができるようになるかにかかっています。
家族が集中的に取り組んだ場合には、数ヶ月から1年のうちに当事者が出てくる確率が高くなります。
17年こもった30代の女性が、海外在住の兄の介入によって、相談の10日後に外来受診したケースもあります。
NPOの訪問サポートでも、「1年の訪問」を想定しているようです。
しかし、親が他人任せ・業者任せとなって、親自身の変革に取り組まない場合には、リバウンドする確率が高くなります。
訪問サポートを利用する場合にも、できるだけ親が、親の会・家族会・家族教室などに参加して、親と当事者の取り組みを並行させた方が良いのです。
「3年以内の脱出」という目標に「冷静に、根気強く、タイミングを待つ」を加えると、親が取り組む基本原則となります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
親の相談受診から始まるひきこもり外来では、過半数が1年以内に当事者の外来受診と居場所参加に成功しています。
親が親の会に取り組んだ場合に、当事者が来院しなかったにもかかわらず、3年後に社会参加できるようになったケースもあります。
ひきこもりからの脱出に成功するかどうかは、親が冷静になり、賢明さを取り戻し、働きかけのタイミングを待つことができるようになるかにかかっています。
家族が集中的に取り組んだ場合には、数ヶ月から1年のうちに当事者が出てくる確率が高くなります。
17年こもった30代の女性が、海外在住の兄の介入によって、相談の10日後に外来受診したケースもあります。
NPOの訪問サポートでも、「1年の訪問」を想定しているようです。
しかし、親が他人任せ・業者任せとなって、親自身の変革に取り組まない場合には、リバウンドする確率が高くなります。
訪問サポートを利用する場合にも、できるだけ親が、親の会・家族会・家族教室などに参加して、親と当事者の取り組みを並行させた方が良いのです。
「3年以内の脱出」という目標に「冷静に、根気強く、タイミングを待つ」を加えると、親が取り組む基本原則となります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月20日水曜日
生活を楽しむためのアイテム
親が取り組み続けることは、必然的に親の生き方が変わる営みになります。
その際のポイントについて要約してみます。
ひきこもり当事者に向き合うためにも、あせらないことが必要です。
①世間体、人並みという絶対基準をゆるめる。
②自分のせいで失敗したというレッテル貼りをしない。
③要求水準を下げる。
④人生はいつからでもスタートと考える。
⑤既存のシステムの未熟性を解し、やみくもに依存しない。
⑥先賢の英知から、生き方の全体性・統合性を作る。
⑦行動の中から、新たな人間関係を作る。
⑧「老い先短い」を「生涯現役」に変える。
⑨定年後30年間の人生の見通しを作る。
⑩あるべきでなく、あるがまま、そのまんま。
⑪あいまいさ、中途半端さを受け入れる。
⑫いい加減に生きる。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
その際のポイントについて要約してみます。
ひきこもり当事者に向き合うためにも、あせらないことが必要です。
①世間体、人並みという絶対基準をゆるめる。
②自分のせいで失敗したというレッテル貼りをしない。
③要求水準を下げる。
④人生はいつからでもスタートと考える。
⑤既存のシステムの未熟性を解し、やみくもに依存しない。
⑥先賢の英知から、生き方の全体性・統合性を作る。
⑦行動の中から、新たな人間関係を作る。
⑧「老い先短い」を「生涯現役」に変える。
⑨定年後30年間の人生の見通しを作る。
⑩あるべきでなく、あるがまま、そのまんま。
⑪あいまいさ、中途半端さを受け入れる。
⑫いい加減に生きる。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月19日火曜日
発想を転換することができた
定年後に発送転換して生き方を変えることは、困難を伴うと考えられがちです。
退職は、仕事から解放される期待でいっぱいですが、すぐにそれは、不安と喪失感に変わります。
会社・仲間という帰属する集団があり、その中で仕事をし、人生を歩んできた人にとって、それらがなくなるのは喪失体験であり、孤独につながります。
しかも、定年後に帰属する地域社会では、職歴・肩書き・年収といったものが通用しないのです。そうした環境の中で、ひきこもり当事者と向き合わなければならない父親は、たいへん困惑するのです。
しかし、これはチャンスでもあります。発想の転換をする、またとない機会と言えます。
わが子とじっくり向き合うこともできます。親の会に参加することもできます。居場所で、若い人との交流も可能となるのです。
会社人間として経験できなかったことが、定年退職し、わが子と向き合うことで体験できるのです。これぞまさしく、人生の転換であり、価値観の転換です。
これを機会に、「産業カウンセラー」「ひきこもり相談員・支援員」などに挑戦して、心の健康の問題にチャレンジすることも面白い展開と言えます。
しかし、ここで注意して欲しいのは、会社の規範、つまり部下と上司の関係を応用したりしないことです。なぜなら、それは父親を再び「会社人間」に引き戻すことになってしまうからです。
ひきこもり当事者が部下で、父親が上司ではないのです。ひきこもり問題だけに取り組むことは、「がむしゃら時代」に戻ることにつながりますので、そこも注意が必要です。
がむしゃらに自分を追い詰め、追い込んでしまうのは、ひきこもり当事者を追い詰め、追い込んでしまうことにつながるのです。
定年退職後は、さまざまな事柄に挑戦して欲しいと思います。パソコンにチャレンジすることも良いでしょう。パソコンは、便利で面白い機器であり、今やなくてはならない道具です。
若者に教わることは、刺激的な体験です。パソコンをはさんで、親と当事者の会話が開始されることもあります。
アナログ世代が、60歳過ぎてデジタル化されていく自分を発見することも、面白い体験となるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
退職は、仕事から解放される期待でいっぱいですが、すぐにそれは、不安と喪失感に変わります。
会社・仲間という帰属する集団があり、その中で仕事をし、人生を歩んできた人にとって、それらがなくなるのは喪失体験であり、孤独につながります。
しかも、定年後に帰属する地域社会では、職歴・肩書き・年収といったものが通用しないのです。そうした環境の中で、ひきこもり当事者と向き合わなければならない父親は、たいへん困惑するのです。
しかし、これはチャンスでもあります。発想の転換をする、またとない機会と言えます。
わが子とじっくり向き合うこともできます。親の会に参加することもできます。居場所で、若い人との交流も可能となるのです。
会社人間として経験できなかったことが、定年退職し、わが子と向き合うことで体験できるのです。これぞまさしく、人生の転換であり、価値観の転換です。
これを機会に、「産業カウンセラー」「ひきこもり相談員・支援員」などに挑戦して、心の健康の問題にチャレンジすることも面白い展開と言えます。
しかし、ここで注意して欲しいのは、会社の規範、つまり部下と上司の関係を応用したりしないことです。なぜなら、それは父親を再び「会社人間」に引き戻すことになってしまうからです。
ひきこもり当事者が部下で、父親が上司ではないのです。ひきこもり問題だけに取り組むことは、「がむしゃら時代」に戻ることにつながりますので、そこも注意が必要です。
がむしゃらに自分を追い詰め、追い込んでしまうのは、ひきこもり当事者を追い詰め、追い込んでしまうことにつながるのです。
定年退職後は、さまざまな事柄に挑戦して欲しいと思います。パソコンにチャレンジすることも良いでしょう。パソコンは、便利で面白い機器であり、今やなくてはならない道具です。
若者に教わることは、刺激的な体験です。パソコンをはさんで、親と当事者の会話が開始されることもあります。
アナログ世代が、60歳過ぎてデジタル化されていく自分を発見することも、面白い体験となるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月18日月曜日
年齢主義から解放された
定年退職後のあなたの人生設計は、できていますか?
がむしゃら世代は、定年がゴールと思いがちです。ゴールしたあとは、余生、つまり、おまけの人生と考えてはいないでしょうか?
しかし、平均寿命が延びた現在、定年後の人生は、とても長くなりました。余生とするには、あまりにも長い期間です。
ひきこもり当事者の年齢が上がることは、そのまま親の年齢も上がり、80代の親のもとで、50代の息子がひきこもり当事者ということもあるからです。
80代の父親が、40代の当事者を居場所に連れてきたケースもあります。70代では、何人も息子の引き出しに成功しています。
体力的な低下は、スポーツや散歩を心がけることや知恵を働かすことで補充できます。
親が高齢になったからと言って、わが子のひきこもりをあきらめないで欲しいのです。歳を重ねたからこそ、できることも多いからです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
がむしゃら世代は、定年がゴールと思いがちです。ゴールしたあとは、余生、つまり、おまけの人生と考えてはいないでしょうか?
しかし、平均寿命が延びた現在、定年後の人生は、とても長くなりました。余生とするには、あまりにも長い期間です。
ひきこもり当事者の年齢が上がることは、そのまま親の年齢も上がり、80代の親のもとで、50代の息子がひきこもり当事者ということもあるからです。
80代の父親が、40代の当事者を居場所に連れてきたケースもあります。70代では、何人も息子の引き出しに成功しています。
体力的な低下は、スポーツや散歩を心がけることや知恵を働かすことで補充できます。
親が高齢になったからと言って、わが子のひきこもりをあきらめないで欲しいのです。歳を重ねたからこそ、できることも多いからです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月17日日曜日
生活を楽しむことにした
「楽しむ」と言うと、「甘やかせば良いのか?」と誤解する人がいます。「連れて来てください」と言うと、「無理やりに拉致することか?」と言う人がいます。
親のこの極端さは、何のでしょうか?親自身の生活や考え方に余裕がないときに、こうした発言になります。ひきこもり当事者ではなく、親の方が切羽詰まった状況です。
親たちの世代は、がむしゃらに働いてきた世代です。「24時間働けますか?」とCMに後押しされ、栄養ドリンクを飲み続けて頑張ってきた世代です。
父親は産業戦士として、母親は専業主婦として、子供の教育にのめり込みました。しして、好景気を支え、バブルを演出しました。
ところが、バブルは弾け、せっかく育てた子供たちが就職時になると、就職氷河期になっていたのです。頑張ってきた親のもくろみは、こうして崩れ去ってしまいました。
年間の自殺者が3万人を超えるようになって10年近くになります。中高年男性がリストラや倒産で経済的破綻をきたし、それが原因で自殺した人が増えたことが、その理由とされています。
自殺まで追いつめられた彼らの気持ちを察すると辛いものがありますが、仕事以外にも楽しみや価値観を持っていれば、違った結果になったとも考えられます。
がむしゃらであることは、ときには必要ですが、行き場がなくなって、社会からの撤退=自殺ということになってしまうのです。
ひきこもり当事者にも、自由な発想はなかなかできません。というのは、当事者たちは親たちの価値観をそのまま受け継いでいるからです。彼らの場合は、社会からの撤退=ひきこもりだったのです。
「これしかない」と思い込んでいる親が、多様な生活を送り、それを楽しむことは、短期間に身につくことではありません。
しかし、親が別の価値観を探して、生き方を変えようと努力すれば、当事者にもその努力は伝わります。実は、それがとても大切なのです。
夫婦でも、親子でも、よもやま話、世間話などの会話を楽しむ、食事や散歩や軽スポーツなどを共に楽しむことは、家族間の雰囲気を根本的に変えます。
親の態度が変化すると、当事者も変化していきます。これは、よく見られる現象です。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
親のこの極端さは、何のでしょうか?親自身の生活や考え方に余裕がないときに、こうした発言になります。ひきこもり当事者ではなく、親の方が切羽詰まった状況です。
親たちの世代は、がむしゃらに働いてきた世代です。「24時間働けますか?」とCMに後押しされ、栄養ドリンクを飲み続けて頑張ってきた世代です。
父親は産業戦士として、母親は専業主婦として、子供の教育にのめり込みました。しして、好景気を支え、バブルを演出しました。
ところが、バブルは弾け、せっかく育てた子供たちが就職時になると、就職氷河期になっていたのです。頑張ってきた親のもくろみは、こうして崩れ去ってしまいました。
年間の自殺者が3万人を超えるようになって10年近くになります。中高年男性がリストラや倒産で経済的破綻をきたし、それが原因で自殺した人が増えたことが、その理由とされています。
自殺まで追いつめられた彼らの気持ちを察すると辛いものがありますが、仕事以外にも楽しみや価値観を持っていれば、違った結果になったとも考えられます。
がむしゃらであることは、ときには必要ですが、行き場がなくなって、社会からの撤退=自殺ということになってしまうのです。
ひきこもり当事者にも、自由な発想はなかなかできません。というのは、当事者たちは親たちの価値観をそのまま受け継いでいるからです。彼らの場合は、社会からの撤退=ひきこもりだったのです。
「これしかない」と思い込んでいる親が、多様な生活を送り、それを楽しむことは、短期間に身につくことではありません。
しかし、親が別の価値観を探して、生き方を変えようと努力すれば、当事者にもその努力は伝わります。実は、それがとても大切なのです。
夫婦でも、親子でも、よもやま話、世間話などの会話を楽しむ、食事や散歩や軽スポーツなどを共に楽しむことは、家族間の雰囲気を根本的に変えます。
親の態度が変化すると、当事者も変化していきます。これは、よく見られる現象です。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月16日土曜日
若者に必要な時間を与えた
西欧文化圏では、若者が一人前になるまでの期間が長引くようになっています。これは、日本にも当てはまる傾向と言えますが、親たちは、自分の若い頃と単純に比較して、年齢主義的な達成を子供に求めてしまいます。
親たちの頭には、「20歳前後で就職、30歳で結婚、40歳で課長、50歳で部長、60歳で定年」といった図式が染みついているのです。
8年のひきこもりからプログラムに参加した20代男性は、単位制高校への入学を決めました。しかし、父親は、「絶対卒業」「車の免許」「良い仕事」などと次々とまくし立てました。
「遅れたから、早く早く」という年齢主義的な焦りを見せる中産階級の心性と、息子との心のつながりを解しない仕事人間の不勉強さが伝わってきます。
10年近くひきこもったのですから、あと10年の時間を当事者に与えるくらいの気持ちが求められます。居場所による支えが、欠かせないケースと言えます。
18年ひきこもった後に5年間居場所に参加し、3ヶ月間のバイトをした男性の母親は、「先がないから、しっかりしてもらわないと」などと述べました。
この母親は、長期ひきこもりにもかかわらず、就労段階まできた当事者を正当に評価できていません。父親も、ひきこもりから脱出した後の5年間、本人と向き合っていないようです。
この段階で必要なことは、「疲れたら休んで、経験から教訓を得て、再チャレンジ」というメッセージを繰り返すことです。親の焦りが当事者を追い詰めてしまう可能性についても、よく考える必要があります。
3ヶ月の就労講座を修了間際に辞めた30代男性は、「中途半端に辞めて、自信がなくなった」と述べました。この男性は、バイト就労と講座の受講を繰り返していますので、再びチャレンジする勇気させ失わなければ、大丈夫と言えるケースです。長期間悩まされた「醜貌恐怖」(姿形が醜いと思い込む)を乗り越えていることに気づく必要があります。
試行錯誤から挫折に至らないようにするためには、1年前の自分、3年前の自分、5年前の自分を振り返って、回復と変化と成長がある事実に気づいていくことが大切です。
高校中退後に不安定な感情に悩まされながら、高卒認定資格を取った10代女性は、志望大学志望学科への合格を決めました。
受験直前の不安定さには、「ちょっぴり勇気を」とアドバイスしましたが、「受験も面接も平気だった」と報告してくれました。就学の場を得ることによって、さまざまな症状がなくなると予測されるケースです。
レビンソンという学者は、「試行錯誤して40歳までに何とかすれば良い」と述べています。
青年期が長期化することは、専門家の間では「言わずもがな」の現象です。20代、30代に試行錯誤を繰り返して、人生の後半に「大器晩成」ということで良いのです。
ひきこもり期間自体を「大人になるために必要な時間であった」と、とらえる必要があります。加えて、親たちが「必要な時間を与える」「10年の時間を与える」という気持ちになれるか否かが、ひきこもり対応のポイントと言えるのです。
焦りは、リバウンドにつながり、問題の蒸し返しになることは、手痛い経験として周知のところです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
親たちの頭には、「20歳前後で就職、30歳で結婚、40歳で課長、50歳で部長、60歳で定年」といった図式が染みついているのです。
8年のひきこもりからプログラムに参加した20代男性は、単位制高校への入学を決めました。しかし、父親は、「絶対卒業」「車の免許」「良い仕事」などと次々とまくし立てました。
「遅れたから、早く早く」という年齢主義的な焦りを見せる中産階級の心性と、息子との心のつながりを解しない仕事人間の不勉強さが伝わってきます。
10年近くひきこもったのですから、あと10年の時間を当事者に与えるくらいの気持ちが求められます。居場所による支えが、欠かせないケースと言えます。
18年ひきこもった後に5年間居場所に参加し、3ヶ月間のバイトをした男性の母親は、「先がないから、しっかりしてもらわないと」などと述べました。
この母親は、長期ひきこもりにもかかわらず、就労段階まできた当事者を正当に評価できていません。父親も、ひきこもりから脱出した後の5年間、本人と向き合っていないようです。
この段階で必要なことは、「疲れたら休んで、経験から教訓を得て、再チャレンジ」というメッセージを繰り返すことです。親の焦りが当事者を追い詰めてしまう可能性についても、よく考える必要があります。
3ヶ月の就労講座を修了間際に辞めた30代男性は、「中途半端に辞めて、自信がなくなった」と述べました。この男性は、バイト就労と講座の受講を繰り返していますので、再びチャレンジする勇気させ失わなければ、大丈夫と言えるケースです。長期間悩まされた「醜貌恐怖」(姿形が醜いと思い込む)を乗り越えていることに気づく必要があります。
試行錯誤から挫折に至らないようにするためには、1年前の自分、3年前の自分、5年前の自分を振り返って、回復と変化と成長がある事実に気づいていくことが大切です。
高校中退後に不安定な感情に悩まされながら、高卒認定資格を取った10代女性は、志望大学志望学科への合格を決めました。
受験直前の不安定さには、「ちょっぴり勇気を」とアドバイスしましたが、「受験も面接も平気だった」と報告してくれました。就学の場を得ることによって、さまざまな症状がなくなると予測されるケースです。
レビンソンという学者は、「試行錯誤して40歳までに何とかすれば良い」と述べています。
青年期が長期化することは、専門家の間では「言わずもがな」の現象です。20代、30代に試行錯誤を繰り返して、人生の後半に「大器晩成」ということで良いのです。
ひきこもり期間自体を「大人になるために必要な時間であった」と、とらえる必要があります。加えて、親たちが「必要な時間を与える」「10年の時間を与える」という気持ちになれるか否かが、ひきこもり対応のポイントと言えるのです。
焦りは、リバウンドにつながり、問題の蒸し返しになることは、手痛い経験として周知のところです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月15日金曜日
若者の全体状況を理解した
バブル経済の崩壊後、IT化・グローバル化によって、社会システムは大変貌を遂げました。ひきこもり世代は、パソコン世代と言えます。
若者を中心に社会生活のあり方が、大きく変化しています。親世代の「民主規範」が、若者世代の「ネット規範」と対峙する状況と言えます。
そのことは、何を意味するのでしょうか?
親がひきこもりの着地点を自分たちの価値観に置くことは、根本的に無理だということです。ひきこもり世代と親世代は、その価値観が違うのです。
親たちは、総中流・年功序列・終身雇用・会社への忠誠・適齢期の結婚などの経済社会的な状況下で生きてきましたが、コンピューター化が進行した若者世代は、一部の専門労働と大多数のマニュアル労働に分化した格差社会に生きています。
30代正社員ですら潰してしまう成果主義の中で、男女共に未婚化・晩婚化が当然のようになりつつあります。
親たちが「民主規範」「経済的な一億総中流」に生きたとすれば、若者たちは「ネット規範」「経済格差の進む社会」に生きているのです。
どう考えても、親世代と若者世代の価値観のギャップを埋めたり、あるいは親側に合わせたりするのは、むずかしいように思えます。
親たちは、ひきこもり世代・若者世代に歩み寄る必要があるように思われます。
自分たちの価値基準を若者に求めることを見直すこと、自分たちと違う若者の時代状況を見つめること、過酷な競争社会である格差社会が進行して、フリーター・ニート・不登校・ひきこもり・パラサイト・ボーダーライン・摂食障害・薬物乱用などに苦しむ若者が急増する時代状況を理解することが求められているのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
若者を中心に社会生活のあり方が、大きく変化しています。親世代の「民主規範」が、若者世代の「ネット規範」と対峙する状況と言えます。
そのことは、何を意味するのでしょうか?
親がひきこもりの着地点を自分たちの価値観に置くことは、根本的に無理だということです。ひきこもり世代と親世代は、その価値観が違うのです。
親たちは、総中流・年功序列・終身雇用・会社への忠誠・適齢期の結婚などの経済社会的な状況下で生きてきましたが、コンピューター化が進行した若者世代は、一部の専門労働と大多数のマニュアル労働に分化した格差社会に生きています。
30代正社員ですら潰してしまう成果主義の中で、男女共に未婚化・晩婚化が当然のようになりつつあります。
親たちが「民主規範」「経済的な一億総中流」に生きたとすれば、若者たちは「ネット規範」「経済格差の進む社会」に生きているのです。
どう考えても、親世代と若者世代の価値観のギャップを埋めたり、あるいは親側に合わせたりするのは、むずかしいように思えます。
親たちは、ひきこもり世代・若者世代に歩み寄る必要があるように思われます。
自分たちの価値基準を若者に求めることを見直すこと、自分たちと違う若者の時代状況を見つめること、過酷な競争社会である格差社会が進行して、フリーター・ニート・不登校・ひきこもり・パラサイト・ボーダーライン・摂食障害・薬物乱用などに苦しむ若者が急増する時代状況を理解することが求められているのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月14日木曜日
価値観を押し付けたことに気づいた
価値観は、一人ひとり違って当然なのですが、時代や文化などによって、傾向というものが現れます。
戦後世代が多数を占める現代の親世代の価値観は、親の育った時代背景に影響され、経済中心主義、会社中心主義、学歴主義などです。しかも、「右肩上がり」に努力が報われると信じる価値観を共有しています。
ひきこもりの発生する家庭の7割が、会社員・公務員などの中産階級です。
職業別人口比率からすれば、特別に、この階級の家庭にひきこもりが多いと言えないかもしれませんが、特徴的なことは、この階級は学歴や能力で、出世や給料が決まるということです。
つまり、この階級は、時代を反映した価値観(学齢・経済・努力報われ型)を持っていると言って良いと思います。
当事者たちは、親の価値観の中で育ち、そして縛られています。
小中学、高校、大学、社会人のどの段階からの不登校や不出社によるひきこもりでも、親の価値観で正直に生きたために失敗した、と感じているのです。
かと言って、自分自身の価値基準を持っているわけでもないのです。と言うより、代わりの基準を形成できる状況にないと言えます。
つまり、親の価値観で生き、その価値観でつまずいても、代わりの価値観を持ち得ないことが、ひきこもりの特徴なのです。その結果、ひきこもって依存することしか、なくなってしまうのです。
親に必要なのは、自分の価値基準を当事者に押し付けてきたことの振り返りです。親が自分自身の価値観の縛りをゆるめることが、当事者のひきこもりからの解放につながるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
戦後世代が多数を占める現代の親世代の価値観は、親の育った時代背景に影響され、経済中心主義、会社中心主義、学歴主義などです。しかも、「右肩上がり」に努力が報われると信じる価値観を共有しています。
ひきこもりの発生する家庭の7割が、会社員・公務員などの中産階級です。
職業別人口比率からすれば、特別に、この階級の家庭にひきこもりが多いと言えないかもしれませんが、特徴的なことは、この階級は学歴や能力で、出世や給料が決まるということです。
つまり、この階級は、時代を反映した価値観(学齢・経済・努力報われ型)を持っていると言って良いと思います。
当事者たちは、親の価値観の中で育ち、そして縛られています。
小中学、高校、大学、社会人のどの段階からの不登校や不出社によるひきこもりでも、親の価値観で正直に生きたために失敗した、と感じているのです。
かと言って、自分自身の価値基準を持っているわけでもないのです。と言うより、代わりの基準を形成できる状況にないと言えます。
つまり、親の価値観で生き、その価値観でつまずいても、代わりの価値観を持ち得ないことが、ひきこもりの特徴なのです。その結果、ひきこもって依存することしか、なくなってしまうのです。
親に必要なのは、自分の価値基準を当事者に押し付けてきたことの振り返りです。親が自分自身の価値観の縛りをゆるめることが、当事者のひきこもりからの解放につながるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月13日水曜日
タイミングを得ることにした
親が、親の会などに参加して変化することによって、ひきこもっている当事者にも変化が生じます。親が変化すれば、当事者も変化します。
(1)当事者は、好き好んでひきこもっているのではありません。
脱出できた当事者たちは、「きっかけがなかった」「暗闇をひとりぼっちで歩いていた」「どうしようもなかった」などと、好き好んでひきこもっていたのではない気持ちを語っています。
ひきこもる若者は、基本的には「出たい」のであり、きっかけがあれば、出ることができるのです。親の取り組みや第三者の対応は、そのきっかけを作るためにあるのです。
(2)親に対する矛盾した気持ち(アンビバレンス)は、親への期待の表明です。
威圧行為・衝動行為から暴言・暴力に至るまで、当事者には親を苦しめるような、さまざまな言動があります。しかし、親はこれをただ恐怖に感じておびえるだけでは不十分です。
これらの言動は、「何とかして欲しい」という気持ちの表れです。本心では、親に期待しているのであり、その期待をうまく表現できないために、行動として出てくるのです。
自力ではいかんともしがたい場合に、親の力や協力を期待するのであり、問題行動の裏に「SOS」の気持ちがあるのは明らかです。
腹のくくれない親、表現が未熟な子、親子のすれ違いという3要素が、ひきこもりを長びかせていると言えるのです。
(3)当事者は、希望と可能性を求めています。
親がある程度の冷静さと確信を持てた場合に、タイミングを見計らって、当事者に親の取り組みについて説明すると良いでしょう。
NPO・フリースペース・居場所などは、「希望と可能性の場所」として、当事者に伝えてあげてください。親が、居場所参加の声かけをして、当事者と一緒に出かけるのです。
一度断られたり拒否されたくらいで、あきらめる必要はありません。当事者の気分や体調を見ながら、何回でも誘うことです。誠意は、必ず伝わるものです。
(4)動き出す当事者には、親の支えが必要になります。
当事者が一回、家を出ただけで、「これで万事うまくいった」と思わないでください。親は、当事者の歩みと共に、親の会などで取り組みを続けていく必要があります。
なぜなら、子供が社会的な発達を停止していた場合は、共依存によって、親の社会性も停止していた可能性があるからです。長年の悩みの中で、社会生活する余裕を失っていた可能性も考えられます。
今となっては古めかしい親の経済主義・学歴主義・世間体主義などの価値観が問題解決を阻んできたことを振り返って、親子で新しい人生を生きるにはどうしたら良いか検討する必要があります。
まず、親が変わりましょう。そのことが、ひきこもり当事者に「あるがままから」「今ここから」という感覚を持たせ、必要な回復と成長へとつながるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
(1)当事者は、好き好んでひきこもっているのではありません。
脱出できた当事者たちは、「きっかけがなかった」「暗闇をひとりぼっちで歩いていた」「どうしようもなかった」などと、好き好んでひきこもっていたのではない気持ちを語っています。
ひきこもる若者は、基本的には「出たい」のであり、きっかけがあれば、出ることができるのです。親の取り組みや第三者の対応は、そのきっかけを作るためにあるのです。
(2)親に対する矛盾した気持ち(アンビバレンス)は、親への期待の表明です。
威圧行為・衝動行為から暴言・暴力に至るまで、当事者には親を苦しめるような、さまざまな言動があります。しかし、親はこれをただ恐怖に感じておびえるだけでは不十分です。
これらの言動は、「何とかして欲しい」という気持ちの表れです。本心では、親に期待しているのであり、その期待をうまく表現できないために、行動として出てくるのです。
自力ではいかんともしがたい場合に、親の力や協力を期待するのであり、問題行動の裏に「SOS」の気持ちがあるのは明らかです。
腹のくくれない親、表現が未熟な子、親子のすれ違いという3要素が、ひきこもりを長びかせていると言えるのです。
(3)当事者は、希望と可能性を求めています。
親がある程度の冷静さと確信を持てた場合に、タイミングを見計らって、当事者に親の取り組みについて説明すると良いでしょう。
NPO・フリースペース・居場所などは、「希望と可能性の場所」として、当事者に伝えてあげてください。親が、居場所参加の声かけをして、当事者と一緒に出かけるのです。
一度断られたり拒否されたくらいで、あきらめる必要はありません。当事者の気分や体調を見ながら、何回でも誘うことです。誠意は、必ず伝わるものです。
(4)動き出す当事者には、親の支えが必要になります。
当事者が一回、家を出ただけで、「これで万事うまくいった」と思わないでください。親は、当事者の歩みと共に、親の会などで取り組みを続けていく必要があります。
なぜなら、子供が社会的な発達を停止していた場合は、共依存によって、親の社会性も停止していた可能性があるからです。長年の悩みの中で、社会生活する余裕を失っていた可能性も考えられます。
今となっては古めかしい親の経済主義・学歴主義・世間体主義などの価値観が問題解決を阻んできたことを振り返って、親子で新しい人生を生きるにはどうしたら良いか検討する必要があります。
まず、親が変わりましょう。そのことが、ひきこもり当事者に「あるがままから」「今ここから」という感覚を持たせ、必要な回復と成長へとつながるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月12日火曜日
仲間の必要性を理解した
親の会活動が有効な集まりになるためには、会員同士が互いの事情の違いにとらわれることなく、共通点を認め合うことが必要になります。
他人の話を「刺激」として取り入れ、問題解決のための「肥やし」として生かしていく姿勢も大切になります。
成功談にも失敗談にも不快な話にも耳を傾け、自己の方法に取り込んでいくことが、当事者を動かす力につながると言えます。このような交流から、親同士の仲間意識ができてくるのです。
親の会や家族教室を転々とすることには問題があります。会が違えば、成立や方法論が異なります。方法をあれこれ変えると、当事者に対する一貫した働きかけができなくなります。
うまくいく親の会は、当事者が参加できる居場所や就労訓練の場まで創り出す力を持つようになります。転々とすることは、取り組みの表面をかすめるだけとなり、問題解決につながらないのです。
互いの安心だけを大切にしてつながるサロンのような集まりもあります。この場合には、親たちが仲良くなるだけでなく、親と当事者も仲良くなって、平和な家庭に見えるようになります。
しかし、当事者の社会参加が進まないままに、親と当事者双方の高齢化が進むので、親の気持ちは複雑です。
当事者が社会に出ないまま、親子関係が安定することは、誤りではないのですが、「親亡き後」に関する親の心配は、消えないままなのです。
気心の知れた者同士で「仲良しグループ」を作るやり方は、癒し・安心から、刺激・勇気へと進めて、変化をうながす活動スタイルとは、目的と結果が違ってくるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
他人の話を「刺激」として取り入れ、問題解決のための「肥やし」として生かしていく姿勢も大切になります。
成功談にも失敗談にも不快な話にも耳を傾け、自己の方法に取り込んでいくことが、当事者を動かす力につながると言えます。このような交流から、親同士の仲間意識ができてくるのです。
親の会や家族教室を転々とすることには問題があります。会が違えば、成立や方法論が異なります。方法をあれこれ変えると、当事者に対する一貫した働きかけができなくなります。
うまくいく親の会は、当事者が参加できる居場所や就労訓練の場まで創り出す力を持つようになります。転々とすることは、取り組みの表面をかすめるだけとなり、問題解決につながらないのです。
互いの安心だけを大切にしてつながるサロンのような集まりもあります。この場合には、親たちが仲良くなるだけでなく、親と当事者も仲良くなって、平和な家庭に見えるようになります。
しかし、当事者の社会参加が進まないままに、親と当事者双方の高齢化が進むので、親の気持ちは複雑です。
当事者が社会に出ないまま、親子関係が安定することは、誤りではないのですが、「親亡き後」に関する親の心配は、消えないままなのです。
気心の知れた者同士で「仲良しグループ」を作るやり方は、癒し・安心から、刺激・勇気へと進めて、変化をうながす活動スタイルとは、目的と結果が違ってくるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月11日月曜日
癒しと刺激と勇気を得た
親の会参加の当初の目的は、癒しと安心を得ることにあります。
「自分たちだけではない」ことに気づくことで、孤立感をのがれることができます。だれにも話さなかった長年の思いを人前で打ち明けることは、気持ちを軽くしてくれます。
次の段階では、成功談や失敗談を聞いて、刺激を受けることが大切です。刺激を受けられない場合は、個人の取り組みや親の会活動が停滞することになります。
問題解決のためには、さらに「勇気」が必要になってきます。互いに口をきかない親子関係はこじれきって、双方の「勇気」は凍りついています。
このような状態から居場所に参加させるためには、まず親の勇気が求められるのです。親が勇気を出せないときに、当事者は勇気の出しようがありません。
わが子に勇気を求めるならば、まず親が勇気を示すことです。これは、認知行動療法でいう「モデリング」(お手本)に相当する方法です。
適応主義によって生活を維持してきた点で、両親の考え方は、共通しています。
適応主義は、世間体に合わせ、右肩上がりに上昇し、子供に「同じ生活水準」(世襲)を期待するという、総中流社会の価値観ということができます。
適応主義の時代には、周囲と同じ生き方をすればよく、「勇気」などという概念は不要だったのです。勇気が社会的に不要な概念ならば、若者が勇気を出すことが苦手になっても不思議ではありません。
「勇気の出し方を知らなかったから、ひきこもった」ということもできるのです。
しかし、親が勇気を出すならば、それは当事者に伝わって、当事者も勇気を出せるようになります。なぜなら、親と子は、心理的な共同体を形成していて、心理的な一体感があるからです。
わが子に勇気を求めるならば、まずは親が勇気を出してみることです。親の会・家族教室などに参加して仲間を得る中で、その勇気はよみがえるのです。
「創造と勇気」(ロロ・メイ)という言葉があります。ひきこもりから脱して新しい状態を創造するためには、「勇気」がキーワードとなることは間違いありません。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
「自分たちだけではない」ことに気づくことで、孤立感をのがれることができます。だれにも話さなかった長年の思いを人前で打ち明けることは、気持ちを軽くしてくれます。
次の段階では、成功談や失敗談を聞いて、刺激を受けることが大切です。刺激を受けられない場合は、個人の取り組みや親の会活動が停滞することになります。
問題解決のためには、さらに「勇気」が必要になってきます。互いに口をきかない親子関係はこじれきって、双方の「勇気」は凍りついています。
このような状態から居場所に参加させるためには、まず親の勇気が求められるのです。親が勇気を出せないときに、当事者は勇気の出しようがありません。
わが子に勇気を求めるならば、まず親が勇気を示すことです。これは、認知行動療法でいう「モデリング」(お手本)に相当する方法です。
適応主義によって生活を維持してきた点で、両親の考え方は、共通しています。
適応主義は、世間体に合わせ、右肩上がりに上昇し、子供に「同じ生活水準」(世襲)を期待するという、総中流社会の価値観ということができます。
適応主義の時代には、周囲と同じ生き方をすればよく、「勇気」などという概念は不要だったのです。勇気が社会的に不要な概念ならば、若者が勇気を出すことが苦手になっても不思議ではありません。
「勇気の出し方を知らなかったから、ひきこもった」ということもできるのです。
しかし、親が勇気を出すならば、それは当事者に伝わって、当事者も勇気を出せるようになります。なぜなら、親と子は、心理的な共同体を形成していて、心理的な一体感があるからです。
わが子に勇気を求めるならば、まずは親が勇気を出してみることです。親の会・家族教室などに参加して仲間を得る中で、その勇気はよみがえるのです。
「創造と勇気」(ロロ・メイ)という言葉があります。ひきこもりから脱して新しい状態を創造するためには、「勇気」がキーワードとなることは間違いありません。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月10日日曜日
夫婦で取り組むことにした
ひきこもりの本質は「孤立」です。当事者は、社会からの孤立に加えて、親や家族からも孤立しています。
当事者の孤立に加えて、実際には親の側も孤立しています。親の側も、だれにも相談できない、支援を受けられない状況下で、強いストレスにさらされています。
過労から無感動・無気力となり、うつ病に陥ってしまうこともあるのです。
しかし、ひきこもり状態を観察することによって、問題解決のヒントを得ることもできます。すなわち、孤立とは反対に、「力を合わせる方向へ転換すること」が解決へとつながるということです。
妻のみが孤立に苦しむ場合は、夫と共に、夫婦で取り組むように方向転換することです。これによって、妻の孤立は解消されます。
次にすべきことは、家族内に問題をとどめることをやめて、複数家族の集まりである「親の会」などに参加することです。
遠慮しないで親族に打ち明け、病院・NPO・居場所のリーダー・公的な機関などにも相談します。かかわりの輪を広げて大勢で対応することは、問題の解決に力を与えてくれるのです。
身内が近くにいない場合は、医療・公的機関・NPOなどによって輪を作ります。このようにして、一種のプロジェクト・チームが出来上がります。
医療やNPOが中核にいる場合に、チームの力はさらに強化されます。これは、ひと社会の共同体的なつながりを活用する動きと言えます。
周囲が動き出すと、衝動的な言動が減少するという形で、当事者に影響が出てきます。
当事者が、「きっかけがない」「どうにもならない」気持ちにいる場合に、たとえ当惑はあっても、周囲の取り組みに悪い気はしないものです。
大勢の人の動きを感じることによって、とりあえず出てみる勇気も刺激されるのです。
当事者の「出てみる勇気」を実現させるためには、参加する居場所・NPO・フリースペースなどが確保されていることが大切な条件となります。
このように、ひきこもり問題解決のためには、母親単独から夫婦へ、夫婦から親族全体、知り合い全体へ、さらに専門家へと、取り組みの輪を広げることが必要になります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
当事者の孤立に加えて、実際には親の側も孤立しています。親の側も、だれにも相談できない、支援を受けられない状況下で、強いストレスにさらされています。
過労から無感動・無気力となり、うつ病に陥ってしまうこともあるのです。
しかし、ひきこもり状態を観察することによって、問題解決のヒントを得ることもできます。すなわち、孤立とは反対に、「力を合わせる方向へ転換すること」が解決へとつながるということです。
妻のみが孤立に苦しむ場合は、夫と共に、夫婦で取り組むように方向転換することです。これによって、妻の孤立は解消されます。
次にすべきことは、家族内に問題をとどめることをやめて、複数家族の集まりである「親の会」などに参加することです。
遠慮しないで親族に打ち明け、病院・NPO・居場所のリーダー・公的な機関などにも相談します。かかわりの輪を広げて大勢で対応することは、問題の解決に力を与えてくれるのです。
身内が近くにいない場合は、医療・公的機関・NPOなどによって輪を作ります。このようにして、一種のプロジェクト・チームが出来上がります。
医療やNPOが中核にいる場合に、チームの力はさらに強化されます。これは、ひと社会の共同体的なつながりを活用する動きと言えます。
周囲が動き出すと、衝動的な言動が減少するという形で、当事者に影響が出てきます。
当事者が、「きっかけがない」「どうにもならない」気持ちにいる場合に、たとえ当惑はあっても、周囲の取り組みに悪い気はしないものです。
大勢の人の動きを感じることによって、とりあえず出てみる勇気も刺激されるのです。
当事者の「出てみる勇気」を実現させるためには、参加する居場所・NPO・フリースペースなどが確保されていることが大切な条件となります。
このように、ひきこもり問題解決のためには、母親単独から夫婦へ、夫婦から親族全体、知り合い全体へ、さらに専門家へと、取り組みの輪を広げることが必要になります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月9日土曜日
家族の閉鎖性・密室性を避けた
親の会に参加する8割が母親なのに対して、父親の参加率が低いことが、問題の本質を示してくれます。
父親の参加が少ない理由は、第一に「世間体が悪い」ためです。近隣や会社の同僚に秘密にすることはもちろん、親族にも、ひきこもりに困っていることを知らせないのです。
もう一つの理由は、子育てを妻任せにしてきた経緯から、問題を妻任せにしてしまうことです。
これらが、親の会に父親が出席しない主たる理由となります。父親が取り組まない場合には、母親がひきこもる当事者と1対1で向き合うしかなくなるのです。
当事者の身体が母親より大きくなると、母親ひとりでの対応は難しくなります。長ずるに従って体力もかなわなくなりますので、母親は懇願・哀願を繰り返すしかなく、無視されてしまうのです。
父親も、長い間の妻任せのために、成人した息子らとの向き合い方や会話の仕方がわからなくなっています。その結果、怒鳴って威圧するしか手立てがなくなるのです。
問題を外に出さないで解決しようとする、日本家庭の「密室性」が、一家心中などの悲劇の原因になります。長期ひきこもりや障害者を抱えた家族の悲劇が続いています。
家庭という密室で何とかしようとする限り、問題解決は進まないばかりか、ひきこもり問題を長引かせ、こじれさせる原因になるのです。
大家族が村落に向かって開かれていた時代は、もはや過去となりました。
核家族が孤立して閉じている現代では、家族内の問題解決能力は低下しており、家族自体が壊れやすい状況に瀕していると言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
父親の参加が少ない理由は、第一に「世間体が悪い」ためです。近隣や会社の同僚に秘密にすることはもちろん、親族にも、ひきこもりに困っていることを知らせないのです。
もう一つの理由は、子育てを妻任せにしてきた経緯から、問題を妻任せにしてしまうことです。
これらが、親の会に父親が出席しない主たる理由となります。父親が取り組まない場合には、母親がひきこもる当事者と1対1で向き合うしかなくなるのです。
当事者の身体が母親より大きくなると、母親ひとりでの対応は難しくなります。長ずるに従って体力もかなわなくなりますので、母親は懇願・哀願を繰り返すしかなく、無視されてしまうのです。
父親も、長い間の妻任せのために、成人した息子らとの向き合い方や会話の仕方がわからなくなっています。その結果、怒鳴って威圧するしか手立てがなくなるのです。
問題を外に出さないで解決しようとする、日本家庭の「密室性」が、一家心中などの悲劇の原因になります。長期ひきこもりや障害者を抱えた家族の悲劇が続いています。
家庭という密室で何とかしようとする限り、問題解決は進まないばかりか、ひきこもり問題を長引かせ、こじれさせる原因になるのです。
大家族が村落に向かって開かれていた時代は、もはや過去となりました。
核家族が孤立して閉じている現代では、家族内の問題解決能力は低下しており、家族自体が壊れやすい状況に瀕していると言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月8日金曜日
訪問支援員、訪問サポート士
ひきこもり対応には、NPO、居場所などに連れて行くシステムと、当事者や親を訪問して変化をうながすシステムとに大別されます。
医療の「待機する」特性と、「訪問する」活動がリンクすることによって、ひきこもりへの対応は最も有効になるのです。
訪問活動は、問題解決の糸口に位置づけられ、今後も増えることが見込まれます。親の会では、訪問サポート士の養成を行っています。
埼玉県など地方自治体による訪問支援員の養成が行われているケースもあります。若者サポートステーションからの訪問員の養成も開始される見通しです。
訪問支援・訪問サポートによって実効を上げるためには、訪問経験を積み重ねる必要があると言えます。
この点で、精神障害・知的障害施設の勤務経験者、親の会活動の経験者、居場所活動をする元当事者などは、格好の人材として期待されます。
訪問活動において留意すべき点は、訪問初期に衝動行為の有無を見分けること、精神病性のひきこもりを把握すること、訪問活動が奏功しない場合にも「契約の履行がなされること」の確認などです。
訪問支援・訪問サポート活動では、NPO・医療・公的機関などとの相互連携が欠かせないと言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
医療の「待機する」特性と、「訪問する」活動がリンクすることによって、ひきこもりへの対応は最も有効になるのです。
訪問活動は、問題解決の糸口に位置づけられ、今後も増えることが見込まれます。親の会では、訪問サポート士の養成を行っています。
埼玉県など地方自治体による訪問支援員の養成が行われているケースもあります。若者サポートステーションからの訪問員の養成も開始される見通しです。
訪問支援・訪問サポートによって実効を上げるためには、訪問経験を積み重ねる必要があると言えます。
この点で、精神障害・知的障害施設の勤務経験者、親の会活動の経験者、居場所活動をする元当事者などは、格好の人材として期待されます。
訪問活動において留意すべき点は、訪問初期に衝動行為の有無を見分けること、精神病性のひきこもりを把握すること、訪問活動が奏功しない場合にも「契約の履行がなされること」の確認などです。
訪問支援・訪問サポート活動では、NPO・医療・公的機関などとの相互連携が欠かせないと言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月7日木曜日
居場所、フリースペース、自助グループ
居場所は、当事者が参加する場所という機能を持っており、ひきこもり対応に欠かすことができない存在です。
親の会に居場所が併設された場合には、親が、居場所参加の声かけをして、当事者と一緒に出かけることになります。
居場所・フリースペース・NPOなどの情報は、前もって与えておくことが大切です。新聞・TV・インターネットなどからの情報によって、当事者は居場所へ参加しやすくなります。
しかし、それらに興味を持たない場合は、情報不足となります。
インターネットに興味がないままに13年間ひきこもった青年は、「きっかけがなかった」と述べました。
11年ひきこもった青年は、「どこへ行ったら良いか、わからなかった」と述べましたが、この青年もパソコンを使えなかったのです。
情報がある場合は、当事者が動きだす可能性が高くなります。「参加できる場所さえあれば、参加したい」というのが、彼らの本音なのです。
居場所などへの参加期間は必要なだけとり、体力とコミュニケーションの回復から開始することが良いと言えます。居場所では、年齢のへだてなく、おしゃべりなどの交流をします。
居場所の中で、当事者は「決して遅れているのではない」ことに気づきます。
みんなが同じ悩みや課題を抱えていることを知り、先行く経験者や仲間のうまくいった体験や悪戦苦闘ぶりを見聞きしながら、自分も勇気を出してみようという気持ちが起きてきます。
有効に機能する居場所では、「ひきこもりは必要であったこと」「むだな時間ではなかったこと」「今ここから大切にすること」「人生はいつからでもスタート」などという認知が得られていきます。
「むだな時間だった」というマイナス思考を乗り越えるためには、「人生はいつからでもスタート」という前向きの認識が有効なのです。
「何もなかった時より、良いことも辛いこともある今の方が良い」と思えることが、リバウンド(逆戻り)を防いでくれます。
競争社会に傷つき、生き方にさまよう若者たちの自己回復の場である居場所・フリースペース・自助グループは、今日の社会において、さらに拡がることが求められています。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
親の会に居場所が併設された場合には、親が、居場所参加の声かけをして、当事者と一緒に出かけることになります。
居場所・フリースペース・NPOなどの情報は、前もって与えておくことが大切です。新聞・TV・インターネットなどからの情報によって、当事者は居場所へ参加しやすくなります。
しかし、それらに興味を持たない場合は、情報不足となります。
インターネットに興味がないままに13年間ひきこもった青年は、「きっかけがなかった」と述べました。
11年ひきこもった青年は、「どこへ行ったら良いか、わからなかった」と述べましたが、この青年もパソコンを使えなかったのです。
情報がある場合は、当事者が動きだす可能性が高くなります。「参加できる場所さえあれば、参加したい」というのが、彼らの本音なのです。
居場所などへの参加期間は必要なだけとり、体力とコミュニケーションの回復から開始することが良いと言えます。居場所では、年齢のへだてなく、おしゃべりなどの交流をします。
居場所の中で、当事者は「決して遅れているのではない」ことに気づきます。
みんなが同じ悩みや課題を抱えていることを知り、先行く経験者や仲間のうまくいった体験や悪戦苦闘ぶりを見聞きしながら、自分も勇気を出してみようという気持ちが起きてきます。
有効に機能する居場所では、「ひきこもりは必要であったこと」「むだな時間ではなかったこと」「今ここから大切にすること」「人生はいつからでもスタート」などという認知が得られていきます。
「むだな時間だった」というマイナス思考を乗り越えるためには、「人生はいつからでもスタート」という前向きの認識が有効なのです。
「何もなかった時より、良いことも辛いこともある今の方が良い」と思えることが、リバウンド(逆戻り)を防いでくれます。
競争社会に傷つき、生き方にさまよう若者たちの自己回復の場である居場所・フリースペース・自助グループは、今日の社会において、さらに拡がることが求められています。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月6日水曜日
保健所、精神保健福祉センター
保健所、精神保健福祉センターなどの公的機関には、民間機関が未発達な地域での中核的な役割、家族教室による親への心理教育、困難なケースへの介入などが求められます。
ひきこもり対応の力をつけるためには数年を要しますが、転勤の壁を越えて、対応の経験をどのように伝達していくかがポイントになります。
民間機関が活発な地域においては、公的機関の反応は今ひとつとなりがちです。重点がニート対策におかれて、ひきこもり、困難ケースは手つかずのままの地域もあります。
電話相談やメール相談の効果を挙げるためには、当事者を居場所へつなげる工夫が求められています。
山口県や愛知県のように、精神保健福祉センターなどの期間が中核的機能を発揮して、NPO、親の会
の連携が進んでいる地域もあります。
公的機関には、親たちや民間の力が及ばない状況や困難なケースに対して取り組むことも求められています。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
ひきこもり対応の力をつけるためには数年を要しますが、転勤の壁を越えて、対応の経験をどのように伝達していくかがポイントになります。
民間機関が活発な地域においては、公的機関の反応は今ひとつとなりがちです。重点がニート対策におかれて、ひきこもり、困難ケースは手つかずのままの地域もあります。
電話相談やメール相談の効果を挙げるためには、当事者を居場所へつなげる工夫が求められています。
山口県や愛知県のように、精神保健福祉センターなどの期間が中核的機能を発揮して、NPO、親の会
の連携が進んでいる地域もあります。
公的機関には、親たちや民間の力が及ばない状況や困難なケースに対して取り組むことも求められています。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月5日火曜日
親の会
ひきこもり当事者を抱える家族を「ひきこもり家族」と呼びます。「親の会」は、ひきこもり家族の親たちによって構成される任意団体です。
「親の会」の意義は、活動を通じて、親たちが「癒し・安心・刺激・勇気」を得られることにあります。
(1)親の会に参加することは、自分たちと似た状況の人とかかわることになります。互いの話を聞く中で、他人が同じ問題を抱えていることを知ることができます。親たちが出会うことは、孤立感を乗り越えさせてくれる大きな力となるのです。
(2)先に親の会に参加して問題への対処が進んでいる人・対処中の人からも、対処の仕方を学ぶことができます。ひきこもりに関する実際的な知識を得ることができるのです。
(3)親たちがさまざまな工夫を凝らす中で、当事者たちが居場所に参加してくるようになります。その成功を見て、自分もうまくいくという見通しを立てることができます。
(4)親の会での活動を通じて、自分や社会の状況にチャレンジすることができるようになります。この段階になりますと、どうしようもない無力さにとらわれていた頃の気持ちと大きく変わってきます。
(5)親の会の合間に、互いに助け合い、サポートすることができるようになります。活動を通じて、同年代の多くの仲間ができます。
特に、会社生活の中で地域とのつながりを見失って孤立していた父親たちにとって、新たに仲間ができることは得がたい経験になります。
わが子との会話ができない父親もいますが、肩書きや会社名を利かせた付き合いから、本音トークによる付き合いに転じることは、会話や対話の力をつけてくれます。
現代社会の個人を孤立させる病理は、ひきこもりの原因にもなっています。ひきこもりは、単なる個人の問題ではなく、社会の問題ということができるのです。
親たちも、競争主義の中で孤立させられています。親が孤立から脱却し始めたとき、当事者の孤立からの脱出が始まるということができます。
親の会で、苦労話・体験談を聞いたり語ったりすることは、癒しを与えてくれ、疲れや無力感は軽くなります。他人事として受け止めてきた父親には、問題の重大性に気づく機会になります。
肩書きを越えた仲間意識が芽生えてきます。刺激を受け、取り組む勇気を得ることができます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
「親の会」の意義は、活動を通じて、親たちが「癒し・安心・刺激・勇気」を得られることにあります。
(1)親の会に参加することは、自分たちと似た状況の人とかかわることになります。互いの話を聞く中で、他人が同じ問題を抱えていることを知ることができます。親たちが出会うことは、孤立感を乗り越えさせてくれる大きな力となるのです。
(2)先に親の会に参加して問題への対処が進んでいる人・対処中の人からも、対処の仕方を学ぶことができます。ひきこもりに関する実際的な知識を得ることができるのです。
(3)親たちがさまざまな工夫を凝らす中で、当事者たちが居場所に参加してくるようになります。その成功を見て、自分もうまくいくという見通しを立てることができます。
(4)親の会での活動を通じて、自分や社会の状況にチャレンジすることができるようになります。この段階になりますと、どうしようもない無力さにとらわれていた頃の気持ちと大きく変わってきます。
(5)親の会の合間に、互いに助け合い、サポートすることができるようになります。活動を通じて、同年代の多くの仲間ができます。
特に、会社生活の中で地域とのつながりを見失って孤立していた父親たちにとって、新たに仲間ができることは得がたい経験になります。
わが子との会話ができない父親もいますが、肩書きや会社名を利かせた付き合いから、本音トークによる付き合いに転じることは、会話や対話の力をつけてくれます。
現代社会の個人を孤立させる病理は、ひきこもりの原因にもなっています。ひきこもりは、単なる個人の問題ではなく、社会の問題ということができるのです。
親たちも、競争主義の中で孤立させられています。親が孤立から脱却し始めたとき、当事者の孤立からの脱出が始まるということができます。
親の会で、苦労話・体験談を聞いたり語ったりすることは、癒しを与えてくれ、疲れや無力感は軽くなります。他人事として受け止めてきた父親には、問題の重大性に気づく機会になります。
肩書きを越えた仲間意識が芽生えてきます。刺激を受け、取り組む勇気を得ることができます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月4日月曜日
NPO
だれも取り組まない困難な「ひきこもり対応」を、長年にわたって行ってきたNPOは、「時代のさきがけ」として高く評価されます。
多くのNPOが、ニート対策の上で「若者自立塾」として、行政から認知されました。しかし、若者自立塾に「目標達成」「期間制限」が課せられたことには疑問が寄せられています。
ひきこもり外来の経験から、当事者に「必要なだけのウォーミング・アップ機関を与えること」が最も良い結果につながるからです。
行政の関与を嫌って、自立塾に参加しないNPO・非NPOも多く、「手作りのひきこもり対応」を続けています。
NPOは、訪問事業から生活訓練・就労トレーニングまで、さまざまな手段を組み合わせて、ひきこもり・ニート対応を行っています。
しかし、いくつかの問題点と限界を示すNPOもあります。
第一に、取り扱う対象に限界があることです。10年以上のケースや精神科薬を服薬中のケースに対応しないとすることは、NPOの自己防衛策として止むを得ないと思われます。
NPO によるひきこもり対応に一定の限界がある以上、10年以上、35歳以上、小中学不登校からの長期ケース、暴力のきわだつケース、ひとり親ケースなどの困難な事例に、公的機関や医療の関与が求められるのは必然的になります。
第二に、NPOの場合に、必要経費が月当たり15万円~20万円前後とかさむことです。若者自立塾では「低所得層」に半額補助が国庫から出るのですが、それでも10万円台に達します。
これは、親の年金や一般労働者の所得からみると、法外な額と言えます。
第三に、医療との連携がない場合は、心身状態の把握と管理が不十分になることです。ひきこもることによって統合失調症発病を免れているケースでは、対人場面に引き出すことが発症につながることもあるのです。医療との連携を進めることで、NPOの評価が高まることは当然と言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
多くのNPOが、ニート対策の上で「若者自立塾」として、行政から認知されました。しかし、若者自立塾に「目標達成」「期間制限」が課せられたことには疑問が寄せられています。
ひきこもり外来の経験から、当事者に「必要なだけのウォーミング・アップ機関を与えること」が最も良い結果につながるからです。
行政の関与を嫌って、自立塾に参加しないNPO・非NPOも多く、「手作りのひきこもり対応」を続けています。
NPOは、訪問事業から生活訓練・就労トレーニングまで、さまざまな手段を組み合わせて、ひきこもり・ニート対応を行っています。
しかし、いくつかの問題点と限界を示すNPOもあります。
第一に、取り扱う対象に限界があることです。10年以上のケースや精神科薬を服薬中のケースに対応しないとすることは、NPOの自己防衛策として止むを得ないと思われます。
NPO によるひきこもり対応に一定の限界がある以上、10年以上、35歳以上、小中学不登校からの長期ケース、暴力のきわだつケース、ひとり親ケースなどの困難な事例に、公的機関や医療の関与が求められるのは必然的になります。
第二に、NPOの場合に、必要経費が月当たり15万円~20万円前後とかさむことです。若者自立塾では「低所得層」に半額補助が国庫から出るのですが、それでも10万円台に達します。
これは、親の年金や一般労働者の所得からみると、法外な額と言えます。
第三に、医療との連携がない場合は、心身状態の把握と管理が不十分になることです。ひきこもることによって統合失調症発病を免れているケースでは、対人場面に引き出すことが発症につながることもあるのです。医療との連携を進めることで、NPOの評価が高まることは当然と言えます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月3日日曜日
医療機関での治療
取り組みの拠点として医療が存在することの意義は、「ひきこもり外来」の有効性が証明しています。一般外来の合間に開始された「ひきこもり外来」の当事者受診は、7年間に125名を数えました。
医療の利点は、ひきこもり状態が精神病性か否かの見立てを、迅速に行える点にあります。統合失調症とそれ以外のひきこもりでは、治療法が異なります。
ガイドライン(2003)に、「家族による自己診断を尊重する」という一項がありますが、ひきこもり外来の経験から、ひきこもり状態を抱える家族には、精神病性か否かを見分けることが困難であることが判明しました。
医者にとっても、親の話からだけでは、見立てのつかないことや、当事者を診ただけでも見当がつかないこともあるのです。
統合失調症の解体型を疑った19歳青年の場合は、抗うつ薬で改善を示したことから、うつ病と判明しました。
近所で悪口を言われていると興奮した40代男性は、一時的な幻覚妄想でした。
興奮状態の続いた30代女性は、親の意見に相違して、統合失調症と診断されました。
興奮状態によって入院した30代男性は、栄養障害からと思われる脳委縮と知的低下をきたしていました。
このように、社会生活が失われたケースでは、当事者を見立てることが専門家にすら困難な場合があるのです。
従って、単なる「社会的ひきこもり」として楽観的に訪問することが誤りであると共に、すべてを精神病のようにみなして危険視することも誤りなのです。
「社会的ひきこもり」という言葉を信じて、医師による診断や治療を不要なものと考え、家族教室に参加するうちに、統合失調症が進行してしまったケースもあります。
ひきこもりの開始(きっかけ、原因)が統合失調症による場合には、早期受診による病気の進行防止が大切になります。
ひきこもりを診療する医師が各地で増えています。ひきこもりの病理研究が進んで、治療の可能性が明らかにされることで、医療による対応はさらに広がると推測されます。
ひきこもりを治療可能なものと位置づけて、「ひきこもり対応ができる医療」を育てていく必要性は高いと思われます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
医療の利点は、ひきこもり状態が精神病性か否かの見立てを、迅速に行える点にあります。統合失調症とそれ以外のひきこもりでは、治療法が異なります。
ガイドライン(2003)に、「家族による自己診断を尊重する」という一項がありますが、ひきこもり外来の経験から、ひきこもり状態を抱える家族には、精神病性か否かを見分けることが困難であることが判明しました。
医者にとっても、親の話からだけでは、見立てのつかないことや、当事者を診ただけでも見当がつかないこともあるのです。
統合失調症の解体型を疑った19歳青年の場合は、抗うつ薬で改善を示したことから、うつ病と判明しました。
近所で悪口を言われていると興奮した40代男性は、一時的な幻覚妄想でした。
興奮状態の続いた30代女性は、親の意見に相違して、統合失調症と診断されました。
興奮状態によって入院した30代男性は、栄養障害からと思われる脳委縮と知的低下をきたしていました。
このように、社会生活が失われたケースでは、当事者を見立てることが専門家にすら困難な場合があるのです。
従って、単なる「社会的ひきこもり」として楽観的に訪問することが誤りであると共に、すべてを精神病のようにみなして危険視することも誤りなのです。
「社会的ひきこもり」という言葉を信じて、医師による診断や治療を不要なものと考え、家族教室に参加するうちに、統合失調症が進行してしまったケースもあります。
ひきこもりの開始(きっかけ、原因)が統合失調症による場合には、早期受診による病気の進行防止が大切になります。
ひきこもりを診療する医師が各地で増えています。ひきこもりの病理研究が進んで、治療の可能性が明らかにされることで、医療による対応はさらに広がると推測されます。
ひきこもりを治療可能なものと位置づけて、「ひきこもり対応ができる医療」を育てていく必要性は高いと思われます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月2日土曜日
第三者の存在を活用
ひきこもりに対する公的な支援は、長年にわたって、ほとんど存在しませんでした。親たちが、20年以上にわたって相談し続けたこととの落差には、驚かされるばかりです。
2000年前後から、「ゼロからのスタート」の形で、親、民間、公的機関の取り組みが開始されました。利用できるシステムは、当初とは違った様相を呈して拡大してきています。
1万近い家族の親の会が結成され、全国数百か所以上のNPO・非NPOが取り組み、居場所やフリースペースが各地に設置されてきました。
不登校対応から不登校・ひきこもり対応へと切り替える団体も増加中です。
若者自立塾に国の予算が投じられ、訪問支援員・訪問サポート士が、民間のみならず、公的にも育成される方向に来ています。
全体的に、問題解決の力量はいまだに不十分な段階にありますが、社会的な問題意識は強まっています。
2008年には、ひきこもりを抱えた家族の心中などの悲劇が発生しました。これらの悲劇を抑止し、社会不安が拡大することを視点は欠かせません。
あらゆる取り組みは、取り組まない状態に比べて、はるかに大きな「悲劇の抑止力」を持っていると言うことができます。
医療やNPOには、高度の拠点性があります。公的な機関の取り組みは、社会の偏見を乗り越える勇気を与えます。
居場所やフリースペースは、社会性の回復に有用です。親の会は、孤立から悲劇へと進行することを防ぐ最大の防波堤と言えるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2000年前後から、「ゼロからのスタート」の形で、親、民間、公的機関の取り組みが開始されました。利用できるシステムは、当初とは違った様相を呈して拡大してきています。
1万近い家族の親の会が結成され、全国数百か所以上のNPO・非NPOが取り組み、居場所やフリースペースが各地に設置されてきました。
不登校対応から不登校・ひきこもり対応へと切り替える団体も増加中です。
若者自立塾に国の予算が投じられ、訪問支援員・訪問サポート士が、民間のみならず、公的にも育成される方向に来ています。
全体的に、問題解決の力量はいまだに不十分な段階にありますが、社会的な問題意識は強まっています。
2008年には、ひきこもりを抱えた家族の心中などの悲劇が発生しました。これらの悲劇を抑止し、社会不安が拡大することを視点は欠かせません。
あらゆる取り組みは、取り組まない状態に比べて、はるかに大きな「悲劇の抑止力」を持っていると言うことができます。
医療やNPOには、高度の拠点性があります。公的な機関の取り組みは、社会の偏見を乗り越える勇気を与えます。
居場所やフリースペースは、社会性の回復に有用です。親の会は、孤立から悲劇へと進行することを防ぐ最大の防波堤と言えるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年8月1日金曜日
共依存の問題に気づいた
「共依存」という言葉がありますが、こじれながらしがみつく人間関係のあり方を「共依存」と言います。
依存(アディクション)は、一方向への極端な行動の偏りを指し示す言葉です。
依存には、「物質依存」(アルコール、薬物、摂食障害)、「過程依存」(買い物、ギャンブル、ゲーム)、「関係依存」(過剰、世話焼き、世話焼かれ)があります。
アルコール依存症の夫に仕える妻、摂食障害の娘の母親、ひきこもる息子と母親などの間にも、関係依存、過程依存、母子を中心とした共依存を見出すことができます。
ひきこもりの共依存は、母親の側からすれば、「自立して欲しいと望む反面、手放せないままに世話を焼き、面倒を見続けること」です。
当事者の側からすれば、「不本意であり出たいが、出られないので家や家族にしがみつき、依存しなければやっていけない」状況となります。
共依存は、ひきこもりを支えてしまい、長引かせる原因となります。
世話焼き行動が、本人の自立をうながすどころか、生活の自立を損なうことに気づかない母親が多いのです。
自立を支える方法がわからないので、すぐに「突き放した方がいいのですか?」という質問となります。父親はすべてを妻任せにすることによって、共依存にくみすることになります。
共依存による混乱から、親子ともども回復するポイントは、「当事者との距離の取り方を変える」ことにあります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
依存(アディクション)は、一方向への極端な行動の偏りを指し示す言葉です。
依存には、「物質依存」(アルコール、薬物、摂食障害)、「過程依存」(買い物、ギャンブル、ゲーム)、「関係依存」(過剰、世話焼き、世話焼かれ)があります。
アルコール依存症の夫に仕える妻、摂食障害の娘の母親、ひきこもる息子と母親などの間にも、関係依存、過程依存、母子を中心とした共依存を見出すことができます。
ひきこもりの共依存は、母親の側からすれば、「自立して欲しいと望む反面、手放せないままに世話を焼き、面倒を見続けること」です。
当事者の側からすれば、「不本意であり出たいが、出られないので家や家族にしがみつき、依存しなければやっていけない」状況となります。
共依存は、ひきこもりを支えてしまい、長引かせる原因となります。
世話焼き行動が、本人の自立をうながすどころか、生活の自立を損なうことに気づかない母親が多いのです。
自立を支える方法がわからないので、すぐに「突き放した方がいいのですか?」という質問となります。父親はすべてを妻任せにすることによって、共依存にくみすることになります。
共依存による混乱から、親子ともども回復するポイントは、「当事者との距離の取り方を変える」ことにあります。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
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