当事者となかなか向き合おうとしない父親は、「妻任せ」であることがほとんどです。
「俺は放任主義者だ」と開き直ってしまう父親もいます。放任主義は、「ひきこもったのは当事者の責任であり、父親の自分とは関係ない」とすることです。
しかし、これは父親としての弱音の裏返しかもしれません。「子供に近づく方法がわからない」と告白しているようなものです。
実は、最初から放任主義者であり、妻任せだった父親は少なく、当事者が小さかった頃、一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、おんぶ・抱っこ・肩車をして喜ばせた経験のある父親は多いのです。
多くの父親たちは、子供の幼少期には一緒に遊ぶ「良い父親」だっやのですが、わが子が思春期や青年期に達する頃には、父親自身が多忙となり、会社での責任も重くなって、交流する余裕は失われてきます。
単身赴任は、父子が心理的に離れる極めつけの出来事と言えます。会話する機会は言うまでもなく、わが子の姿を見る機会すら失われるからです。
この年代は、子供の反抗期と重なりますから、会話が成立しないこともあります。こうして、少しずつ、わが子との交流が減って、心の隙間が生まれ、父親は「放任主義者」にならざるを得なかったのではないでしょうか。
わが子の教育・養育が妻任せとなり、「稼ぐことが父親の責務」という分業論に逃げてしまった。その意味では、父親も「被害者」かもしれません。
しかし、父親である以上、最後までわが子に責任を持たなくてはなりません。そのことを知っているから、今こうして、ひきこもる当事者のことで悩んでいるわけです。
悩んでいるということは、一歩、問題に近づいた、当事者に近づいた、放任主義者でなくなったということです。これまで、ひきこもり当事者と向かい合って疲れ切った妻に代わって、父親が登場しましょう。
親の集まりでは、夫婦での参加をすすめています。父親は妻と共に、親の会・家族教室・家族会に参加することから始めましょう。
夫婦での参加は、専業主婦だった妻が、夫の社会的な立ち振る舞いを初めて見る機会を与えてくれ、その後の夫婦関係の礎となってくれます。
父親が参加することで、家庭内の力関係は、2対1と親側が有利になります。
父親の参加は、親全体が関心を持ってくれたことを意味します。当事者にとって、それは今までにない新しい展開なのです。
親の会では、他の父親と問題を共有する中で、ひきこもりというすれ違い状態にあるわが子との接近の仕方を学ぶことができます。
声かけをし、さり気ない世間話、よもやま話をする中で、生活を共にする感覚を親子ともども作っていきましょう。平たい言葉で言えば、「再び苦楽を共にする」ということでしょうか。
人生、楽しいことばかりではありません。苦しいことの方が多いかもしれません。だからこそ、家族との生活、親子が向き合う生活を作るのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿