2008年7月28日月曜日

待機主義と自己責任論の誤りを知った

多くの親は「世間体」という他人の評価を気にして、問題を表に出さないままできました。どこに相談して良いかわからず、相談しても解決につながらないという時代背景があったからです。

しかし、すべての親が手をこまねいて、事態を放置していたのではありません。

当事者に対する働きかけの他に、親たちは、保健所や精神保健福祉センターなどの公的機関、病院・クリニック、カウンセラー、ケースワーカー、NPOなど、さまざまな官民の機関を訪れています。

20年ケースの母親は、大学病院、民間病院、保健所、親の会と相談を続けてきました。24年ケースの母親は、不登校1年目からさまざまな機関を訪れています。

しかし、2000年以前では、「ひきこもり」は、一般的な認知すらありませんでした。

「不登校のその後」「自力で出るだろう」程度に思われて、高校中退ケース、高校生年代を越えて成人化したケースを扱う公的機関は、ほとんどなかったのです。

医療では、不登校の入院治療を人権侵害とみなす意見や、精神保健法(1987)、精神保健福祉法(1995)の成立後という状況の中で、人権への配慮から「本人受診」主義が徹底され、当事者を連れて行かない受診は、成立しませんでした。

経済的に好調な時代には楽観的な見方が支配して、若い世代の変化が始まっていることや「ひきこもり問題」の存在に、社会は気づこうともしなかったのです。

不登校に関しては、「出てくるのを待つ」という待機主義が繰り返され、ゆとり教育の時代(1992~2006)には、「自己責任で出てくる」とする自己責任論が唱えられました。

ごく少数の人たちが、根気強くひきこもり対応を続けていましたが、ひきこもりを「甘え」とみなす風潮から、社会問題としてクローズアップされることなく、水面下で深刻さを増していたのです。

2001年になって、不登校の2割が外に出ることができないままである事実が判明しました。

大学受験失敗や大学中退などからのひきこもりから、就職氷河期の大卒無業、会社退職後のひきこもりまで、学歴や職歴のあらゆる段階から、ひきこもりに移行することも明らかになりました。

社会に問題の認識がなかった時代に、多くの親や当事者が、世間に気づかれないように身をひそめたのは、不登校に対する待機主義と自己責任論のもたらした帰結とも言えます。

さまざまな問題性が表面化した現段階では、いたずらな待機主義や自己責任論は、「ひきこもり問題」の解決をもたらさないどころか、問題の放置につながり、さまざまな「悲劇」が二次的に発生することにつながると言えます。

待機主義や自己責任論には限界があり、逆効果であることに気づいたからには、「悲劇」を抑止するため、問題を隠すことなく、具体的に動くことが大切であると言えます。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

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