2008年7月25日金曜日

民主的の過剰

父性中心主義は、江戸時代や明治時代の支配思想とされますが、これは支配階級を中心に見受けられた現象であって、庶民社会では母性中心主義であったようです。

敗戦によって、父性中心主義は封建思想として否定され、戦後の民主教育を受けた世代が、現在の核家族の親となりました。

この世代の父親たちは、「一家の長」という考え方を排除して、子供の世代に「民主的」な対応を心がけてきたと言えます。

自分の考えを伝えようとする父親は、「議論好き」とか「意見を押しつける」と言われて敬遠され、民主的な「友だち家族」としてふるまう父親が歓迎されるようになりました。

フロイトやユングが言う「わが子を家庭から切り離す」姿勢は、示されなかったと言えます。

「友だち」であるかぎり、「決定は本人任せ」になるしかなく、「本人任せ」が「民主的」対応と誤解されてきたのです。

「出るまで待つ」「自己責任」の原則は不登校にまで拡大されましたが、現実には、不登校の20%は、自力で外に出ることはできなかったという結果になり、ひきこもりとなりました。

「不登校・ひきこもり」も当事者の自由意思によるものとみなした時点で、親は手も足も出せなくなったのです。

過剰な「民主意識」を持つ「友だち家族」の父親は、仕事の責任が重くなると共に、家庭からさらに遠のきました。

不登校・ひきこもりは、戦後の民主的な核家族が、息子・娘らを社会化する力に問題があったことを示しているのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

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