2008年9月3日水曜日

市民社会の一員と実感

人は、一人では生きていけないだけでなく、一家族だけでも生きていけません。こんな当たり前のことが、経済主義や大不況の時代には理解されませんでした。

隣の芝生をうらやみ、隣の息子のネクタイ姿をねたみ、近隣同志で競い合う時代は終わりました。

ひきこもりからの着地点が、親たちと同一でないことを理解して、時間を与える余裕が親の側に生まれたときに、当事者の回復は始まります。

当事者の回復を見守る姿勢ができるということは、親たちの側に質的な変化が生じたことを意味します。

親自身も、自分の体裁・世間体・形式・制度・古い価値観に縛られることなく、自分自身の必然性を自由に生きることを選択したのです。

これは、親自身が、自由・愛・本音から撤退(ひきこもり)していた状況から解放され、回復したことを意味します。親たちの回復は、当事者の回復であり、家族共同体の回復であり、共同社会の回復なのです。

ひきこもりは、時代と社会が閉塞して生きづらく、本来の人間性と相反するものであるという訴えです。

若者によって問題提起された「ひきこもり問題」の意味を解して解決に取り組むことは、共同社会を生き生きとした、住みやすい成熟社会へと一歩進めることになるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

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