孤立化し、格差社会に放り出されて苦しいのは、当事者や親だけではありません。
ひきこもり問題を抱えない親たちの多くもまた、低賃金労働を余儀なくされるフリーターや結婚しない(できない)パラサイトを抱えて、予測もしなかった事態に悩んでいます。
若者は旅立てないでいますが、旅立てない若者の親もまた旅立てないのです。
親たちは定年後を「第2の人生、余生、老後」とすることを良しとしない世代です。かと言って、今後30年の身の振り方を持ち合わせていないことも事実です。
親世代全体が、今からの人生をどう生きるか悩み、さまよっています。
こういう状況から、ひきこもり問題、わが子の社会化の問題を定年後に抱えたことは、マイナスではないことがわかるのです。
気がついてみると、親自身も直接的な競争社会からはずれています。これは、ひきこもるわが子と同じラインに並んだということです。
これは、親子のつながりをはぐくむチャンスと言えるのです。
親の回復が子の回復であり、子の回復が親の回復であるという、家族の共同性がよみがえる絶好のチャンスなのではないでしょうか。
総中流社会も格差社会も、競争・対立・縄張り・縦割り・期限割り・細分化・専門化など、人々を分断する動きが強い社会です。
摂食障害が若い女性のSOSであるように、ひきこもりは、孤立に身をおくことによって、人間同士のつながりの大切さを示した問題提起であるとみなすこともできます。
親の会や居場所は、孤立を脱して身を寄せ合い、互いの経験を伝え合う中で、当事者と親の回復が進んでいく集まりです。
その経験を別の家族へ、いまだ苦しむ親と当事者へ伝えることは、人々の回復とつながりの輪を広げていく意義があります。
それは、孤立社会を共同性に満ちた成熟社会へと変えていく大きな力となるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年9月2日火曜日
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