当事者たちは、何も考えないで、ひきこもっているのではありません。
対人不安・ストレス・過剰な緊張・いじめ・学校や会社が合わないことなどによってひきこもった当事者たちは、繊細な神経の持ち主と言うことができます。
ひきこもりという形でしか、自分を守ることができなかったということもできます。「ひきこもりは、自分を探る有意義な営みである」とする意見にも根拠があるのです。
しかし、自力で外に出ることができなかった場合には、ひきこもる行為自体による傷つきを繰り返すようになり、ひきこもり問題と呼ばれるのです。
ちなみに、半年以上の期間が経過することによって、ひきこもりの定義を満たすことになります。
親の世代は、経済主義・会社主義・学歴主義などの戦後社会の発展を支えた価値観を持っています。わが子にも、同じ水準(以上)の生活を願う親の考えを、当事者は受け入れています。
世紀末の不況を境にして、時代は大きな変貌を見せていますが、ひきこもりの親たちと当事者の考え方はそっくりなのです。そして、その価値観を実現できなかった姿が、「ひきこもり」なのです。
さまざまな理由から、当事者は親の考えに反発したり反論したりできないままでいます。
学業途中であれ、学業終了後(中途退職)であれ、彼らには、親の願う生き方を実現できなかったという挫折感や罪悪感があります。
罪悪感から、うつ状態に陥ることもありますが、学校や会社などに戻ることには、自尊心と自己愛による抵抗があるのです。
戦後の経済成長期を通じて、地域に若者がたむろする場所は減少し続けました。会社や学校で傷ついた若者は、自宅に戻って、ひきこもらざるを得なかったのです。
同時に、当事者には、「親の言うことを聞いていたらこうなった」「親が必要なアドバイスをしてくれなかった」という被害者意識があります。
「親の期待に縛られて身動きができなかった」という犠牲者意識も出てきます。親を見る視点がこの一点に絞られた場合に、親の対応次第で衝動行為につながることもあるのです。
親にしても「世間に恥ずかしい」「なぜ、うちの子だけが」という被害者意識でいっぱいです。被害者意識同士が、ドア一枚へだてて向かい合うことが、ひきこもりをさらに長引かせます。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
2008年9月6日土曜日
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