2008年9月9日火曜日

親への依存に気づいた

親との関係や親への気持ちは、一度見直す必要があります。

ひきこもり当初から親との緊張関係が続く場合に、「何もしてくれない親が悪い」などという被害的意識を、親に向けることがあります。

また、「近所が悪口を言う」「自分の噂をしている」など、周りが悪いとする「被害念慮」にとらわれることもあります。

被害念慮は、閉塞状況の中では生じても無理からぬ症状ですが、一歩進んで周囲の悪意を信じて疑わなくなると、「被害妄想」となります。

被害念慮は、ひきこもりから解放された後には消えてしまう一時の気持ちの偏りです。「単なる思い込みではないか」と考え直し、被害念慮に基づいた行動は避けなければなりません。

親たちにも「なぜ普通に生活してくれない」「なぜ自分の家だけがこうなのか」という被害者意識があることが多いのです。

被害者意識や被害念慮どうしですれ違っている限り、親子間がうまくいくはずもなく、ひきこもりからの解放があり得ないのは当然なのです。

子供時代の延長と考えて、「自分を養うのは親の義務だ」「このままの生活が良い」と思っている人もいますが、「生活を親に依存していること」について振り返ることは大切なことです。

母親が、食事から洗濯まで身の回りのすべてを世話することは、当たり前のことでしょうか?確かに「父親は会社、母親は家庭で子育て」という総中流時代には、母親が家庭で子育てを行ない、父親と子供の身の回りの世話を行なってきました。

しかし、成人後の子に対しても、同じような世話焼き行為を続けることには問題があります。この点の区切りが明確でないことが、現代の核家族の弱点であり、誤りなのです。

なぜなら、身の回りの世話を続けることは、当事者の自立心をはぐくまないどころか、世話焼きされることを当然と思うことで、ひきこもりを長引かせる原因の一つになるからです。

母親の世話焼き行為なしでは生きていけない状態は、「母親依存」と言えます。

一方で経済的な自立を願いながら、他方で生活の自立、精神的な自立をはばむ世話焼き行為を続けることの矛盾に気づかないことが奇妙なのです。

このような親子関係を「共依存」と言います。また、家族関係に塗り込められて自立できないあり方を「家族依存」と言います。

「依存症モデル」は、ひきこもりの「母依存」「共依存」「家族依存」に注目することで、ひきこもりの解消のためには、依存関係の解消が必要かつ有効であることを示しています。

ひきこもりには、神経症・うつなどのさまざまな疾患が原因となったり結果であったりしますが、その長期化の原因は、ひきこもりが依存症であることを抜きにしては語れないのです。

荒れる50代男性に添い寝する高齢の母親、30代男性にスプーンで食事を与える母親などは、子供時代からの依存関係が年数を経てもそのままに保たれてしまった「共依存」の姿なのです。

また、親の会の統計では、ひきこもり当事者一人につき年間60万円ほどの生活費がかかることが明らかになっています。

特に、定年退職後の収入は、年金などに限定されていることが多く、限りがある分だけ親の経済的な負担感は大きいと言えます。

バイトしたときの貯金を少しずつ使いながら、ひきこもる人もいますが、生活全体を親に依存している事実には変わりないのです。

ひきこもりを抱えた親世代の心理的な負担は、はかり知れないものがあります。

23年にわたって相談を続けながら未解決のままできた母親は、自分がうつ病に陥って入院を繰り返すようになりました。この他にも、心身症・神経症・睡眠障害・などに陥った親は数多くいます。

世間体によって気持ちをより苦しくさせてはいますが、いったん成立した価値観をゆるめることには困難が伴いますので、親たちの苦しみは、心身の病として続くのです。

親世代は、年齢の進行と共に、持病を抱える人が急増する世代です。特に、脳血管(脳梗塞・脳出血)や心臓血管(心筋梗塞・狭心症)の疾患は突然出現して、心身の自由や生命にかかわることも少なくありません。

従って、当事者には最低限の対人交流をできることが求められるのです。長期化して固定化してしまわないうちに、最低限の人間関係に慣れておくことは、きわめて大切と言えるのです。

中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。

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