ひきこもり中には、本当の意味でのくつろぎも、くつろげる空間も存在しないと言えます。ひきこもる自分の部屋は、自分を守る最終の「砦(とりで)」であり、心を解き放つ場所ではないのです。
ひきこもる家や自分の部屋は、「何もない部屋」ではなく、緊張と対峙の現場となります。部屋のドアが、38度線のような「軍事境界線」となります。
自室に鍵をつけるようなケースは、明らかな「砦(とりで)」化です。ある男性は、家族から不快な思いをさせられるたびに鍵をつけるようになり、10年後の脱出時には、その数は20個に達していました。
学校・職場の緊張や不安を避けて家から出ることができなくなったのですから、社会に出られないことの不安と緊張は常に存在します。
ひきこもり自体が、近隣・親戚・同年代の視線に恐怖を感じさせ、恐怖を避ける行動を強めます。ひきこもりには、ひきこもりを深めるマイナスのメカニズムがあるのです。
「不登校・ひきこもりは、渦のように深まる」という言葉から、当事者の苦悩が伝わってきます。当初の一時的な解放気分はどこへやら、うつっぽく重苦しい気持ちへと変化していくのです。
「現在」を閉ざすと、必然的に「未来」も閉ざされます。自分の将来に対する不安をかき消すことは至難の業なので、ことさらに意識しなくなり、感じないようにする方法が取られます。これを「否認」(認めないこと)と言います。
ひきこもりの中で、生きる時間は「過去」のみとなり、現在は「過去のみとつながる」ようになります。過去は悔やみとして想起され、「こうなったのは、親のせいだ」という他罰的で被害的な気持ちへと進むのです。
ひきこもりは、表面的には自分の感情や欲求を押し殺す生き方ですが、どうにも抑えきれなくなると、そのエネルギーは親に対する恨みや怒りに転じて、衝動行為が発生することになります。
以上は、ひきこもりには、いかに「くつろぎ」がないかを示しています。
たとえ外に出ても、「くつろぎの場」を発見できない場合には、ひきこもりと大差ないのですから、リバウンド(再度のひきこもり)を生じても不思議ではありません。
従って、居場所には、ひきこもる部屋と違う何か、くつろぎ・楽しさ・喜びなどが求められます。これが感じられる居場所やプログラムには、再び参加したくなるのです。
競争社会に傷つき、生き方にさ迷う若者たちの自己回復の場として、「居場所」「フリースペース」が、今求められています。「居場所の拡大」と「生き方の複線化」こそが、若者たちの回復と成長のために必要です。
不登校・中退などが教育システムへの異議申し立てであり、中途退社が会社社会への異議申し立てであるとしたら、そのエネルギーをひきこもるエネルギーに変えてしまわないように配慮したシステムが、必要不可欠と言えるのです。
中垣内 正和(著)『ひきこもり外来』から要約しました。
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